Part 6の主要内容:第七章(続き) ― 家族掛の諸規定(死体引渡・宿泊・埋葬手続)、家族応接順序、来訪者応接数と情況変遷、地方出張員名簿、遭難者家族の感情(本吉書記による記録)。第八章 ― 義捐金取扱業務(委員組織・分配手続・寄贈金品の詳細明細)。第七章(章番号重複)― 遭難者の栄誉(叙位・天皇皇后の叙慮・侍従武官派遣・遭難地巡視・追悼祭)。附録 ― 遭難殉職亡者人名簿(全199名の氏名・階級・本籍地)。
家族掛との意思疎通を図り、掛員が家族に関する事項をさらに説明した。発生した事項は細大となく(大小を問わず)郡市町村長に通信した。
2月3日、家族および慰問者の応接所を下士集会所に移転し、左の心得書を掲示して、掛員の説明が至らないところを補った。
【二、諸規定並びに注意事項】
一、死体を受領した者は、死体のまま持ち帰るか、火葬のうえ持ち帰るか、停車場(駅)まで又は火葬場まで搬送するかを区別し、掛員に申し出ること。
一、死体引渡時限は概ね午後1時とする。
一、死体の汽車輸送および火葬は無賃(無料)とする。
一、死体受領の際は聯隊において十分に死者の相貌を確認したうえ、相違の有無を確認すること。
一、死体引渡しの際の遺品については、その希望どおり掛員が指示する。
一、私物は当然掛員を通じて受領すること。郵便貯蓄銀行の有無は所属中隊に確認すること。
一、遺族運搬料および家族乗込用列車の発車時間は黒板に掲示する。
一、死体を火葬に付す場合は死体掛員から委細聞き取ること。
一、死体扶助料・給助金の請求手続きは当掛員を通じて所属中隊事務室にて行うこと。
【官舎宿泊規定】
陸軍官舎の空き家3戸を遺族の宿泊所に充て、寝具および食事を給した。
一、官舎宿泊を希望する者は、県ごとに県庁または郡書記に申し出ること。
一、宿泊者は必ず取締者をあらかじめ定め、他の宿泊者にも告げ、警戒すること。
一、専ら火気に注意し、火災の虞(おそれ)なきよう警戒すること。
一、宿泊者には食事・寝具を貸与する。
一、宿泊者は1月に2人の取締者を置くこと。
【四、家族応接順序】
遭難者の家族が来着し、死体発見の時に至れば、千差万別の対応が必要となるが、以下の順序で応接した。
家族が応接所に出頭すると、家族姓名簿に記入し、死体処分に関する希望を聴取した。あらかじめ調製してある死体引受願書に記名捺印させ、これを庶務部死体掛に移した。同時に遺骨容器を用意し立会委員を付した。
控所にて休憩させ、掛員が懇切に遺族を慰問した。僧侶による読経も行い、時には捜索隊の帰営後に遭難地を遙拝する機会も設けた。
【五、情況の変遷】
1月末から2月15〜16日に至る間が家族掛事務の最繁忙期であった。1日に新来訪者は56人ないし14〜15人、家族宿泊者は34〜48人に達し、応接件数は延べ1,853件に及んだ。
その後、捜索業務が漸く効果を奏するも、容易には発見に至らず、持久の策を講じた。融雪の時期に至れば、家族および戦友の決心と熱誠をもって発見できる日を待つに至った。
各県に対して出頭を促し、死体又は遺骨を家族に送付した。県出張員も3月初旬までは滞在の必要があった。
県出張員の引揚げ後、以下の事項を委託した。
一、死体が発見されるたびに、死者の姓名・発見場所および月日を死者の所属県庁へ通報すること。
二、死体を遺族に交付する際は、所属県の郡市役所へ死体到着停車場および時刻を打電すること。
三、死體処分の顛末を打電すること。
【六、地方出張員】
事変発生以来、地方出張員として特に家族掛の業務に助力した者は以下のとおり。
| 所属 | 役職 | 氏名 |
|---|---|---|
| 聯隊区司令部 | 司令官・歩兵中尉 | 松原曉東三馬 |
| 青森県 | 参事官 | 青木 |
| 岩手県 | 参事官 | 鶴見 |
| 宮城県 | 参事官 | 永井金太郎 |
| 青森県属 | 書記 | 山口左吉・小嶋英雄 |
| 岩手県属 | 書記 | 畠山德三郎・小池五・今泉良次郎 |
| 宮城県属 | 書記 | 庄子敬次郎 |
| 登米郡 | 書記 | 佐藤直治 |
| 栗原郡 | 書記 | 米原 |
【七、遭難者家族の感情】(本吉郡書記・善積精一郎の記録による)
思うに、遭難者の情報が次々と胸に迫り来るなか、父兄親族が蒼皇(あわてふためいて)青森に至り、屯営に到着した時には、物資材料の集積・輸送・人夫の徴収・その他内外の関係事務が繁忙を極めていた。捜索事業の経営は天候との全力の戦いであった。
家族は驚愕・悲痛・憤懣の念に包まれていた。焦心努力しつつ、ただ如何にして死体を発見できるか、まだ発見されないのか、死体引渡しの準備はどうなっているのかと、捜索隊の交渉に差し迫った。
指揮の当否に至っては如何ともし難い事情があり、家族は不満を述べることもあったが、やがて搜索の困難さを知り、家族掛の委員に過激な言葉を浴びせることもあった。しかし捜索時間の長さと困難さを理解するに至り、漸くその不安の念を消すことができた。
2月2日、宮本侍従武官が来訪し御菓子を授けたことは、その効果が大きく、遺族の心情を慰めるのに大いに役立った。生存者の慰問とあわせ、遺族への実況報告が貫徹された。
東北の純朴・真摯で節義に富む健児の父兄親族には、碑恩優渥(天皇の温かい恩恵)の書が下賜され、大きな慰めとなった。
【第八、義捐金取扱業務】
2月3日、忌むべき凍死としてその惨禍を怖れていたものが、今や公務に殉じた義死として、葬式を行う方針が確定した。死体引渡しは家族の望みに随うこととし、日本鉄道会社の協力により無料とした。
今回の遭難に関して、全国の官民はもちろん外国人に至るまで、遭難者の悲壮烈なる言を奮い、生存者慰問として金品を寄贈した。寄贈者の数は膨大で、金額も巨額に達した。
寄贈金品の到達が頻繁になったため、取扱委員を組織した。
【一、委員組織】
| 役職 | 階級 | 氏名 |
|---|---|---|
| 委員長 | 少佐 | 和田木村宣明 |
| 委員 | 中尉 | 村・中村調中 |
| 委員 | 二等軍医 | 山口其一 |
| 助手 | 下士若干 | ― |
【委員の職務分掌】
二、委員長は義捐金取扱に関し全般の責任を負い、連帯し全般の業務を統督する。
三、委員長は義捐金取扱に関し連帯副官は全般の業務を統督する。
四、委員(大尉1名)は聯隊副官に義捐金に関する連帯の業務を統督する。
五、委員(中尉)は文書を掌る。
六、委員は義捐金及び寄贈物品の出納保管に服務する。
七、委員(軍更及軍醫)は義捐金及び寄贈品の受領証の発送を掌る。
八、前項助手は委員長の命を受け庶務に服する。
【義捐金分配手続委員会】
| 役職 | 氏名 |
|---|---|
| 盛岡聯隊区司令官 | 松原曉三郎 |
| 青森衛戍病院長 | 後藤幾太郎 |
| 法務官 | 山本 |
| 青森県参事官 | 永井岩 |
| 岩手県参事官 | 鶴見金太郎 |
| 宮城県参事官 | 永井 |
| 経理部長 | 長林川謙太一郎光郎 |
2月17日、遭難義捐金分配手続を議するための委員会を設置した。
【義捐金総額】(明治35年7月11日調査時点)
| 区分 | 金額 |
|---|---|
| 普通義捐金 | 88,411圓16銭9厘 |
| 特定義捐金 | 947圓15銭1厘 |
| 小計(聯隊直接取扱分) | 84,700圓15銭1厘 |
| 第八師団司令部より回送分 | 546圓38銭35銭2厘 |
| 合計 | 145,629圓38銭1厘 |
義捐金は第五十九銀行に預金し、3〜4日ごとに決算した。
寄贈を仲介した新聞社:北海道新聞、秋田日々新聞、岩手日報、山形新聞、國民新聞、河北時事新報、青森新聞
【五、特志人夫および寄贈物品】
特志(志願)人夫:延べ4,369人
| 品目 | 数量 |
|---|---|
| 巻煙草 | 149,000本 |
| 赤正宗旗酒 | 3ダース |
| 菊酒 | 10ダース |
| 米菓・煎餅 | 松入千枚+6袋 |
| 菓子・卵 | 275個 |
| 蜜柑 | 675個 |
| 林檎 | 385個 |
| 章魚缶詰 | 1,385個 |
| 綿麻帯 | 10箱 |
| 印刷物 | 245冊 |
【義捐金第一回分配】(明治35年3月5日迄の到着分)
総額:金46,612圓35銭3厘
【義捐金第二回分配】(明治35年5月31日迄の到着分)
総額:金47,730圓4銭6厘
分配先:聯隊にて直接分配、青森県・岩手県・宮城県へ送金委託分配
【生存者に対する義捐金分配率】
負傷の軽重に応じた分配係数(千分率)で配分された。
| 氏名 | 階級 | 出身県 | 分配係数 |
|---|---|---|---|
| 及川平助 | 一等卒 | 岩手 | 36/1000 |
| 山本德次郎 | 一等卒 | 青森 | 41/1000 |
| 後藤惣助 | 一等卒 | 全 | 86/1000 |
| 阿部卯吉 | 一等卒 | 岩手 | 141/1000 |
| 小原忠三郎 | 伍長 | 全 | 152/1000 |
| 後藤房之助 | 伍長 | 宮城 | 174/1000 |
| 村松文哉 | 伍長 | 宮城 | 185/1000 |
倉石大尉ほか4名へは直接交付し、残額は後次に組み入れた。
【第七章 遭難者の栄誉】
第一、叙慮(天皇の御配慮)
明治35年1月26日、歩兵第五聯隊第二大隊長・少佐山口鑒以下210名の遭難の公報が上奏されるや、天皇は恐れ多くもその状況を叡覧(御覧)になり、遭難者を憐れみ給うた。これにより遭難地へ宮本侍従武官を派遣し、生存者慰問を命じられた。
【天皇・皇后の御配慮】
天皇は遭難者の状況を逐一御覧になり、侍従武官を派遣して生存者を慰問された。皇后陛下もまた特に御心を寄せられ、御菓子料を下賜された。遭難将校以下士卒を「憫然(あわれ)」として遺族への慰問を貫徹された。
【侍従武官・東宮武官の派遣】
2月5日、東宮武官・陸軍歩兵大尉伯爵清水谷實英が来営。翌6日、立見師団長を訪い東宮武官としての法話を行った。
7日、再び田茂木野に至り捜索隊の状況を電奏(電報で天皇に報告)した。第八哨所に至り詳細に巡視した後、帰京して復命した。
【皇后陛下からの祭祀料】
4月25日、皇后陛下より今回遭難死亡の将校以下の遺族に対し、特に祭祀料が下賜された。
【遭難地追悼祭】
田代に遙拝所を設け、大祭を施行した。遭難地を深く巡視し、遭難者の忠魂を弔った。
【帝国議会の対応】
帝国議会もまた深く遭難の事態を重視し、捜索救護の費用として追加予算を協賛した。さらに省内に委員を設けた。
遭難殉職者への一時金:将校1,500圓、下士卒600圓
【記念碑の建立】
遭難殉職者の忠魂を弔うため、八甲田山麓に大記念碑を建立し、銅標(銅の標識)を設置した。後世に遺さんとする崇高な意志のもとに建立された。
【遭難殉職亡者人名簿】
以下は原本に記載された遭難殉職者の名簿である。将校から兵卒まで、全199名の氏名・階級・位勲・本籍地が記録されている。
■ 将校(士官)
| 氏名 | 階級・位 | 本籍地 |
|---|---|---|
| 山口鑒 | 少佐・正六位勳六等勳五級 | 東京市下谷区下谷町 |
| 興野辯二 | 大尉・正六位勳六等 | 龍地県(判読困難) |
| 神成文吉 | 大尉・正六位勳六等 | 秋田県平鹿郡沼館町 |
| 中橋義信 | 少尉・從七位 | 山形県北村山郡元馬勢町 |
| 水野忠宣 | 中尉・從五位 | 青森(華族) |
| 鈴木守 | 少尉・正八位 | 神奈川県鎌倉 |
| 永井三太郎 | 陸軍三等軍医・正八位 | ― |
■ 准士官・下士官
今中顕、小山田來君、佐藤勝新、小泉繁次郎、渡邊金石衛門、佐野之助、千葉文之助、三浦武雄 ほか
■ 伍長以下(兵卒)
以下4ページにわたり、全伍長・一等卒・二等卒の氏名・本籍地が一覧で記載されている。出身県は主に岩手県・青森県・宮城県の東北三県で、これは歩兵第五聯隊の徴兵区域に対応している。
各人の本籍地は村名・番地まで詳細に記録されており、遺族への通知と恩給請求の基礎資料となった。
■ 名簿に含まれる主な氏名(4ページより抜粋)
【p.234】佐藤卯一郎、作山初五郎、鈴木三喜之助、昆野清男、小田嶋鐡次郎、小野寺館三郎…
【p.235】近藤留三郎、小野寺熊治郎、吉田興四郎、鈴木清三郎、高橋源三郎、高橋彦三…
【p.236】藤原得五郎、大木膳左工門、伊藤伊勢次郎、安部長壽郎、石田仙右工門、千田權治…
【p.237】猪狩勘治、栄山得治、櫻井龍造、浅野佐吉、宮原篤三郎、及川厚…
【p.238】大場福太郎、柏福太郎、千葉宗喜平、田村牟兵衛、佐藤竹蔵、高橋源太郎、澤藤兼松…