歩兵第五聯隊遭難始末

全文書き起こし・現代語訳
原本:歩兵第五聯隊 編『歩兵第五聯隊遭難始末並附録』昭和3年再版
国立国会図書館デジタルコレクション(pid/13121332)
Part 5 ― 原本頁150〜189 | v1.1修正版
20頁
収録ページ
p.150–189
原本対応頁
第六章
特別業務(続)
第七章
家族掛

Part 5の主要内容:第六章・特別業務の続き ― 諸物品調辨(物資調達)、運輸部業務(設置前・設置後の第一期~第三期)、衛生部事項(軍医配置・廠舎・被服・給養)、捜索隊の患者概況、生存者の救護・治療記録、死体取扱業務(検案所・収容所の設置と運営、火葬・遺族への引渡手続)、および第七章・家族掛設置業務(遺族支援組織の編成と活動)。

第六章 特別業務(続)
諸物品調辨 搜索隊ノ根據地トモ云フベキ田茂木野ハ八甲田山麓ノ寒村ニシテ戸數十四戸ニ過ギズ商人ヲ市井ニ求ムルコトヲ得ル所ニアラズ。多數ノ所要物品ハ凡テ急ヲ要スル物品調達ヲ市井商人ヲ以テスルハ到底不可能ナリ。 一般ニ勝貫ニスベテ物資ノ購買ハ車偏又ハ製作要スルモノハ狀況ニヨリテ附近部村ニ至ラシメ聚集セシメタリ。薪炭ハ木炭及附近ノ如キ盛岡附近ヨリ堅雪ノ時期ニ雪上ヲ運搬セシメタリ。買集シ水タルモノナリ。 時期雪上ヲ運搬スルハ容易ニシテ價格モ亦廉ナルコトヲ得タリ。 運搬上大ニ困難ヲ感シタルコトシ得タリ。初メ山上炭燒場ニ於テ直接購入シ三月中旬ヨリ堅雪ノ 雇人夫ヲ使用シ道路險惡延行不便ナルコトヲ得ズ。搜索隊ニ於ケル運搬ハ數百ノ雇人夫ヲ使用スルモ運搬力一人ノ負擔量四貫乃至六貫目ヲ超過スルコトヲ得ズ。 其後馬匹ヲ使用シ大ニ運搬力ヲ增加セリ。馬車ノ使用ニヨリ幸畑田茂木野間四月二初メ馬車ヲ使用シテ田茂木野間全ク馬車ヲ使用スルニ至リ十一日以降屯營馬驛間ニ至リ積雪融解ノ時期ニ至六十貫目乃至百貫目ニ運搬力ヲ得タリ。 第四、運輸部設置前ノ業務 一、運輸部設置前ノ業務 遭難當時ノ慘虐ナル天候ニ打勝チテ搜索救護ノ實ヲ舉ケンニハ物資材料ノ使用スベキモノハ設營ニ面シテ其目的ヲ達スルハ困難ナリシカラ、搜索救護ニ必要ナル諸物資ノ調辨ヲ命ジ地方官ヲ督勵シ一月二十八日ヨリ勉勵セシメタリ。 補養ノ方法ニ至リテモ運輸ハ實ニ困難ナル業務ニシテ當局者ノ勞苦ヲ多シトス。搜索救護ニ必要ナル諸物資諸材料ハ續々屯營ニ集積シ運搬其他ノ使役ニ應ズル臨時雇人夫及地方寄附ニ係ル人夫ヲ以テ運搬セリ

【諸物品調辨(物資調達)】

捜索隊の根拠地ともいうべき田茂木野は、八甲田山麓のわずか14戸の寒村であり、市井に商人を求めることのできない土地であった。多数の必要物品はすべて緊急を要するものであり、市井の商人に調達を依頼することは到底不可能であった。

一般に物資の購買については、車両または製作を要するものは状況に応じて付近の部村(周辺集落)に至らしめ集積させた。薪炭については木炭及び付近から、また盛岡付近からも堅雪の時期に雪上を運搬させた。

雪上輸送は比較的容易で価格も廉価に済んだが、運搬上は大いに困難を感じた。初めは山上の炭焼き場から直接購入し、3月中旬以降は堅雪を利用して運搬した。

雇用人夫を使用したが、道路は険悪で延行(進行)が不便であった。捜索隊における一人の負担量は四貫(約15kg)ないし六貫(約22.5kg)を超過することができなかった。

馬匹を使用することで大いに運搬力を増加させた。馬車の使用により、田茂木野間をすべて馬車で運搬できるようになった。4月初めから馬車を使用し、六十貫(約225kg)ないし百貫(約375kg)の運搬力を得ることができた。

【第四、運輸部設置前の業務】

遭難当時の凄惨な天候に打ち勝って捜索救護の実を挙げるためには、物資・材料を使用すべきものは設営に際してその目的を達することが困難であった。そこで捜索救護に必要な諸物資の調達を工藤少佐に命じ、地方官を督励して1月28日より作業に当たらせた。

特に補給の方法において、運輸は実に困難な業務であり、担当者の労苦は多大であった。捜索救護に必要な諸物資・諸材料は続々と屯営(駐屯地)に集積し、運搬その他の使役に応じるため臨時雇用人夫および地方寄附による人夫を使って運搬を行った。

📝 注記:田茂木野はわずか14戸の寒村。八甲田山への玄関口でありながら物資調達は極めて困難であった。人力での運搬量は一人当たり約15〜22.5kg。馬車導入後は一台あたり225〜375kgと大幅に効率が向上した。
輸送ノ状況 是ニ於テ屯營ニ庶務部ヲ設ケ部員軍吏木直江ニ專ラ運輸業務ヲ專任セシム。此ノ期間ニ於テ田茂木野ニ集積所ヲ設ケ田茂木野以南各屯營內ニ在ルモノハ田茂木野集積所ニ集積シ軍需品ハ庶務部ヨリ各哨所ニ運搬シ各哨所及各隊ニ使用セシメ人夫ヲ使用セリ。 分配ハ田茂木野ニ於テ之ヲ行ヒ此ノ期間ニ於テ輸送ノ方法ヲ採用セリ。 輸送ノ状況 常時雪量頗ル多ク且柔軟ニシテ路外一歩ヲ許サ、狀況ナリシ。田茂木野ニ於テハ舊雪ヲ踏ミ固メテ道路トセリ。 シ時ニ或ハ遠傳法ヲ探用セシ面シ輸送ニ田茂木野以南ノ各哨所ノ遠方概ネ人夫ヲ使用セリ。 一、運輸部設置後ノ業務第一期(自二月二十七日) 著シキ積雪ノ中ヲ強烈ナル風雪ニ遭遇セバ途中ヨリ逐次退却スルモ其荷物ヲ措置スルコト能ハズ窮シテ途中ニ留メシ。 漸ク進行スルモ亦其氣力ニ飽カザルモノ一ニ勉强ナル意志ヲ以テ任務ヲ全ウシ至誠義務ノ念ヲ以テ出役セリ。 設置シ多少トモ編成上整頓シ本業務漸ク整頓スルニ至レリ。 二月四日弘前屯營在輜重兵第八大隊ノ將校以下五十八名ノ應援ヲ得ウトナリ。屯營 編成 運輸部長 輜重兵中佐 齋藤長義一人 (以下 歩兵特務曹長 齋藤直吉 下士一)

【輸送の状況】

屯営(駐屯地)に庶務部を設け、部員・軍吏(経理担当)木直江に専ら運輸業務を専任させた。この期間において田茂木野に集積所を設け、田茂木野以南の各屯営内にあるものは田茂木野集積所に集積した。軍需品は庶務部より各哨所に運搬し、先頭の各哨所および各隊に使用させ、人夫を使用した。

当時の雪量は著しく多く、かつ柔らかくて路外一歩も許さない状況であった。営(田茂木野)では旧雪を踏み固めて道路とした。

時には遠伝法(リレー方式)を採用し、田茂木野以南の各哨所への輸送にはおおむね人夫を使用した。

【一、運輸部設置後の業務・第一期】(2月27日より)

強烈な風雪に遭遇すれば途中より逐次退却するも、その荷物を放棄することはなく、漸く進行した。また気力に飽くことなく、勉強な意志をもって任務に配し、至誠の義務の念をもって出役した。その威厳を確実に持っていた。

2月4日、弘前屯営在の輜重兵第八大隊の将校以下58名の応援を得た。

【編成】運輸部長:輜重兵中佐・齋藤長義(1名)、歩兵特務曹長・齋藤直吉(下士1名)

📝 注記:運輸部の前身となる組織が編成。2月4日に弘前から輜重兵第八大隊58名が応援に到着。輜重兵は物資輸送を専門とする兵科で、この増援により輸送体制が大幅に強化された。
二月十日左ノ如ク變更セリ 【地名・階級・将校の配置表】 屯營本部  中尉 河崎末藏       見習士官 三木秀次 田茂木野本部 少尉 佐藤寅松       特務曹長 神山孝治       見習士官 松尾久三郎 第八哨所支部 大尉 佐井寅彰       見習士官 針生孝 田茂木野支部 少尉 伊藤三郎       見習士官 三木秀次       川井末造 屯營本部:下士28、卒25 第八哨所支部:下士20、卒29 田茂木野支部:下士15、卒20 輸送ノ状況 第八哨所運輸支部ノ業務ハ輜重監視員ヲ見習士官三木秀次ヲ以テ充テシム。 其配當區域ヲ定ム此ノ期ニ於テラ左表ノ如クナリ。物資ノ集積所ヲ設置シ 【集積所・配當區域の表】 集積所名稱   屯營在所 田茂木野集積所  田茂木野 倉庫      大ノ峠 營南麓     田茂木野内 第八哨所  田茂木野以南 第十一哨所 田茂木野集積所 第十二哨所 田茂木野以南第九哨所 右ノ順序ニヨリ第十一哨所及第八哨所集積所ニ先ッ輸送物資ヲ第八屯營內倉庫ヨリ田茂木野集積所ハ總テ反對順序ニ分配シ後送諸物資ハ輸送シ各八哨所集積所ニ之其以南各搜索隊ニ分配シタリ

【2月10日付の人員配置変更】

配置先階級氏名下士
屯營本部中尉河崎末藏2825
田茂木野本部少尉佐藤寅松1520
 (見習士官)特務曹長神山孝治
第八哨所支部大尉佐井寅彰2029
田茂木野支部少尉伊藤三郎

【輸送配當區域(物資集積所の配置)】

物資の集積所を設置し、その配当区域を以下のように定めた。

集積所名称所在地配当範囲
屯営倉庫屯営内屯営~田茂木野
田茂木野集積所田茂木野田茂木野以南各哨所
大ノ峠営大ノ峠南麓方面

物資はまず屯営内倉庫から田茂木野集積所へ輸送し、そこから第八哨所・第十一哨所の集積所へ、さらにその以南の各捜索隊へと分配した。逆順序で後送(使用済み物資の返却)も行った。

此ノ期ニ至リ更ニ人夫募集規定ヲ設ケ常役人夫ヲ召集シ屯營田茂木野ニ於テハ常役人夫ヲ置キ各屯營ニ在ルモ田茂木野以南ノ各哨所ニ田茂木野及貨品ノ運搬ヲ當置セリ。面シ其附近各哨所間物資ノ輸送ヲ常置セリ。屯營及死体停車場或ハ屯營ニ火葬場ニ在ル田茂木野ノ附近ニ給與諸品ノ運搬及死体ヲ運搬セリ。 經由セリ。此ノ期ニ至リ更ニ人夫募集規定ヲ設ケ常役人夫ヲ召集シ屯營田茂木野ニ於テハ 搜索ノ効果未ダ十分ナラズ短日月ノ業務ニ非ルヲ知得シ之ニ充タリ。 三、運輸部設置後ノ業務第二期(自四月二十一日) 到底短日月ニ於テ完了スベキ業務ニ非ザルコトヲ知得シ持久的計畫ノ下ニ之ニ充テタリ。 搜索業務ノ持久ノ計畫ノ要持シ運輸部ノ編成ヲ寶施シタリ。 又從來ノ配當區域ヲ改メ左ノ如クナセリ。 【第七配當區域表】 地名:屯營本部、田茂木野支部、第七哨所支部 階級:將、校    中尉 河崎末造    特務曹長 平山多太郎 齋藤彰 準士官以下 下士:5、8、6 卒:―、―、― 配當區域: 田茂木野集積所 田茂木野 屯營内 田茂木内 第七哨所及鳴澤、第七哨所及第十四哨所、第八哨所 輸送ノ状況 一期ニ於ケル常役人夫ノ墓集區域ハ凡テ一期ニ異ナル「ナシ」。青森弘前二市東津輕郡ニ跨リ之統一スルモノナク願ル監視

この時期に至り、さらに人夫募集規定を設け、常役人夫を召集した。屯営・田茂木野においては常役人夫を置き、各屯営にある田茂木野以南の各哨所に物品の運搬を担当させた。また付近の各哨所間の物資輸送も常置した。屯営から死体停車場あるいは火葬場への死体の運搬もここから行った。

捜索の効果はまだ十分でなく、短日月の業務では終わらないことが判明した。

【三、運輸部設置後の業務・第二期】(4月21日より)

持久的計画のもとに業務を実施することとし、運輸部の編成を実施した。

また従来の配当区域を改め、以下のように変更した。

配置先階級氏名下士
屯營本部中尉河崎末造5
田茂木野支部特務曹長平山多太郎8
第七哨所支部特務曹長齋藤彰6

配当区域は田茂木野集積所を中心に、第七哨所・鳴澤方面、第十四哨所、第八哨所方面をカバーした。

【輸送の状況(一期)】

一期における常役人夫の募集区域は青森・弘前の二市および東津軽郡にまたがり、統一的な管理ができず監視に困難をきたした。

トナシ或ハ北海道ヨリ就役ニ出稼シ或ハ其市町村役場ノ ミナラズ就役一日ニシテ其ノ二日限リ來レリ。 モ常役人夫ニ漸次其業務ヲ信熟シ太田多額ノ費用ヲ要シタルヲ以テ稱シ、且ツ不利益タル以テ稱ラシ、且ツ怒クノ之ヲ愛約シ出願スル夫ヲ漸次解雇スルニ至レリ。馬ニ其業務ヲ大會組ニシテ輸送ヲ確維セリ。 至レリ馬橇モ大會全ク馬橇ヲ請負ハナク乃ツリ面ヒ三月下旬以降ニ至レバ常役人夫ヲ監督スル兵卒ヲ以テ其監視タキ人夫及ビ馬橇ニ至レリ。 十二日以來精雪漸次融解換ユニ馬車ヲ使用スルコトヲ得ル。能ハ初メ馬橇又之換圖ニ馬車ヲ以テセリ。兵ヲ取扱ヒタリ。 畳前ノ方法モ亦前ニ逃セルニ死体ヲ運搬セリ。背ヨ以テセリ。 四、運輸部設置後ノ業務第三期 搜索業務ノ持久ノ計畫改正セリ。 田茂木野運輸支部ハ四月下旬ニ至リ屯營内運輸本部ハ同所ニ兵站部ニ合スルコトトナリ臨時經理部ノ配 業務タルヤ全遭難地域ニ至ル物品ノ取扱及遠送ヲ掌リ其他常役人夫ノ取扱等總テ運輸ニ關スル一般ノ 此ノ期ニ於ケル運輸本部將校ハ時々交代セシヲ以テ特ニ姓名ヲ記載セズ 日ノ編成モ亦五月中旬ニ至リテハ更ニ一層ノ輸少ナシ五月二十日ニ至レリ。 地名:田茂木野支部 階級:將 校一 下士:― 卒:三 三 常搜索間ニ於ケル輸送區域及範囲輸送ノ方法等ニ至リハ又前期ト異ナリ

北海道からの出稼ぎ労働者や市町村役場を通じた人夫など、就役は1日か2日限りの者も多かった。

常役人夫が次第にその業務に習熟してきたが、多額の費用を要したため、不利益な人夫を漸次解雇するに至った。馬に業務を移行し、大組織として輸送を維持した。

3月下旬以降は馬橇(ばそり)を使用。12日以来、積雪が漸次融解し馬車を使用できるようになった。また死体の運搬も背負いや馬車で行った。

【四、運輸部設置後の業務・第三期】

捜索業務の持久計画を改正した。田茂木野運輸支部は4月下旬に至り、屯営内の運輸本部は兵站部に合併されることとなり、臨時経理部の配下に入った。

業務は全遭難地域に至る物品の取扱いおよび輸送を掌り、その他常役人夫の取扱い等すべて運輸に関する一般業務を担当した。

この時期の運輸本部将校は時々交代したため、特に姓名を記載せず。5月中旬以降はさらに縮小し、5月20日には田茂木野支部のみとなった(将校1、卒3名のみ)。

常時の捜索間における輸送区域・範囲・輸送方法等については前期と異なっていた。

傭役人夫員数表(延人夫及馬橇車ノ員數ヲ附表ス) 時期別   常役人夫 日雇人夫  計  一日平均使用數 運輸部設置前期 200   六、577  七、776   六四三 運輸部第一期 一四、585 六、381  八、375  一九九弱 運輸部第二期   六、259 四、585 三、300弱   ― 運輸部第三期    200  259   ―       ― 全      一四、585 六、381 八、375 一日平均六四三 寄附人夫凡テ運輸設置ノ日雇人夫ノ員數ヲ合セリ 考備:寄附人夫…六、200    使用馬橇及馬車員數(一日平均使用數)    馬橇:六、五七六 七五弱    馬車:一〇五 六八強 一〇弱 第五、衛生部事項 一、衛生部員ノ配布並任務 一月二十八日衛生部ハ要ノ搜索隊兵員ノ衛生治療ニ從事シ又人夫患者ヲ收容所ニ設置シ專ラ遭難行軍隊ノ生存者ヲ救護シ且ッ搜索隊ノ患者收容所ヲ設置シ搜索隊兵員ノ衛生事務ニ從事セシメタリ。

【傭役人夫員数表】(延べ人夫および馬橇・馬車の員数)

時期常役人夫日雇人夫1日平均
運輸部設置前期2006,5777,776643
第一期14,5856,3818,375199弱
第二期6,2594,5853,300弱
第三期200259
合計14,5856,3818,375643/日

寄附人夫(無償):延べ約6,200人

使用馬橇:延べ6,576頭(1日平均75頭弱)

使用馬車:延べ105台(1日平均68台強)

【第五、衛生部事項】

一、衛生部員の配置および任務

1月28日、衛生部は捜索隊兵員の衛生治療に従事した。また人夫の患者を収容する施設を設置し、専ら遭難行軍隊の生存者を救護し、かつ捜索隊の患者収容所を設置して捜索隊兵員の衛生事務に従事させた。

📝 注記:延べ人夫数は膨大で、全期間を通じて1日平均643人。寄附(無償ボランティア)人夫も延べ6,200人にのぼり、地域住民の貢献が大きかったことがわかる。
【衛生部員配置表(各哨所別)】      軍醫 看護手 看護長 最前方哨所  ―  二  ― 第八哨所   二  二  ― 第十哨所   一  一  ― 田茂木野收容所 ― 二  ― 青森衛戍病院 五  四  一 各哨所ニ係ル衛生業務: 調査ス。田茂木野收容所ニ於テハ各哨所ニ於ケル患者ノ生況ニ關シ診療及衛生事項ヲ調査シ直チニ死体檢案ヲ行ヒ檢案書ヲ作リ搜索隊トヨビニ庶務係生存者ノ際ハ其死况被服情報具等ヲ調査シ搜索係ト共ニ死体發見ノ手續ヲ了スルニ至リ。 可成迅速ナル患者ヲ曹シ青森衛戍病院ニ(二前方哨所ニ於テハ各哨所ニ於ケル患者ノ遠送シ來ル患者ヲ收容シ天候惡其他ノ状況ニ關シ其遠送ヲ監督且迅速ニ 青森衛戍病院ニ於テハ(二)衛生材料ヲ購買シ且配當シ田茂木野收容所ノ準備ナリシ向タヲ發送(二) 一月廿九日同三十一月二日二月二日ノ三日ニ約百五十人收容ノ準備ナリシ向ニ看護長及看護手數名ヲ二月一日形衛戍病院ヨリ弘前部隊一名來リ軍醫五名來タリシ三十一聯隊ヨリ軍醫正ノ 軍醫ノ繁閑ヲ視察シ第八哨所ニ在リテ約一週間ニ配當シテ救護業務ニ從事シタリ。遭難川二等軍正來隊シ月二十日ニ八日々配當交代ナシ一月一日形衛戍病院正ハ軍醫正ノ 青森衛戍病院 陸軍三等軍醫正 後藤幾太郎

【衛生部員の配置(哨所別)】

配置場所軍医看護手看護長
最前方哨所2
第八哨所22
第十哨所11
田茂木野収容所2
青森衛戍病院541

各哨所での衛生業務は以下を実施した。

田茂木野収容所では、各哨所における患者の状況に関する診療および衛生事項を調査し、ただちに死体検案を行い検案書を作成した。捜索係とともに死体発見の手続きを了した。

前方哨所では、患者をできるだけ迅速に青森衛戍病院に後送した。天候悪化その他の状況に関してその後送を監督し、かつ迅速に行った。

【青森衛戍病院】

衛生材料を購買し配当した。田茂木野収容所の準備にあたった。

1月29日〜2月2日の間に約150人の収容準備を行った。看護長および看護手数名を配置。2月1日には弘前の第三十一聯隊より軍医5名が来援した。

軍医の繁閑を視察し、第八哨所において約1週間配当して救護業務に従事した。

青森衛戍病院長:陸軍三等軍医正・後藤幾太郎

【軍医配置表】 所屬隊號       官等   氏名  來青月日  歸隊月日 山形衛戍病院    全 陸軍一等軍醫  中原貞衛 一月二十九日 二月二十一日 弘前步兵第三十一聯隊 全 陸軍二等軍醫薬劑官 內野定三郎 二月二日 三月十三日 青森衛戍病院    全  小村 出 其一 二月二日 二月二十二日 青森步兵第五聯隊  全  民野鎌太郎 一月二十九日 二月二十日 第八師團軍醫部々員 全  二  中澤吉三郎 二月一日 二月二十日 弘前步兵第三十一聯隊 全  五十嵐雄三 一月三十一日 四月一日 青森步兵第三十聯隊第八大隊 全  折居橋 二月一日 三月十九日 全 輜重兵第八大隊 全  近岡吉進 一月三十日 二月二十二日 弘前衛戍病院   全 陸軍三等軍醫 鶏ノ澤 二月三日 三月十四日 二、搜索隊衛生上ノ状況 廠舎 廠舎ノ構造ハ大小區々ナルモ膝ヲ入ルヘキト人員ノ常ニ不定ニシカリ之ヲ時ニ略述セバ三月一日頃ヨリ內簡略屈シテ其氣容面積

【捜索隊に配置された軍医一覧】

所属官等氏名来青日帰隊日
山形衛戍病院陸軍一等軍医中原貞衛1月29日2月21日
弘前歩兵第31聯隊陸軍二等軍医薬剤官內野定三郎2月2日3月13日
青森衛戍病院小村其一2月2日2月22日
青森歩兵第5聯隊民野鎌太郎1月29日2月20日
第八師團軍医部中澤吉三郎2月1日2月20日
弘前歩兵第31聯隊五十嵐雄三1月31日4月1日
青森歩兵第30聯隊折居橋2月1日3月19日
輜重兵第八大隊近岡吉進1月30日2月22日
弘前衛戍病院陸軍三等軍医鶏ノ澤2月3日3月14日

【二、捜索隊衛生上の状況 ― 廠舎(バラック)】

廠舎(仮設バラック)の構造は大小さまざまで、収容人員も常に一定しなかった。3月1日頃の概略は以下のとおりである。

📝 注記:山形・弘前・青森の各衛戍病院から軍医が集結。最も長期間従事したのは弘前第31聯隊の五十嵐雄三軍医で、1月31日~4月1日の約2ヶ月間。
【廠舎寸法表】      縦(米) 横(米) 氣容(立方米) 平均入員 對一人ノ面積(平方米) 對一人ノ氣容(立方米) 天幕  約一〇〇  三五   二五〇    六   一四六       七五〇 廠舎  約二五〇〇 一五〇〇弱 二九〇   二〇人  三六五       ― 備考:對一人面積ハ本表ヨリ若干異ナルモ各臥床面ハ 干減セリ廠舎ノ所在ノ高差異ナルハ高サ其ナルニヨリ積雪深キ場所ニ建設 廠舎ニ於ケル天然換氣ノ行ハレ方ハ屋蓋蘆莚ノ間隙及周壁ト屋蓋トノ接際空隙及入口ナリ吹雪劇烈ナルサキ當リ屋蓋蘆莚ノ間隙ヲ通ジテ充填シ側壁ノ中央僅ヨリ行キ衛生上適當ノ處置トシ認メラレシ又某廠舎ニテハ晝間時々屋蓋外造ノ間口ヲセラシメ換氣ヲ行ハシメタリ 内口ニ差ヲ懸垂シ圓又ハ其廠舍ニテハ直徑約八十仙米ノ隧道ヲ穿チ至ル故的空隙ニ於テ充塡シ 天幕ノ換氣ハ元來其幕撿ノ間隙ニ依リ又幕撿ノ布ヨリ降雪中氣ヲ換へ夜ハ外面布側面布ノ間隙ニ入リテ白雪堆積シ來タルモノヲ除キ易ク天然換光ヲ以テ屋蓋ノ積雪量多キ比較的淺キ飛散セシメルコトアリ。天幕營ハ換氣法ニ於テ 廠舎ニ於テ木炭ヲ使用シ炭量ヲ節倹スル以テ其中央ニ煖爐ヲ造リ約乃至二個ノ毛布藍蓋ヲ設ケ天幕蓋ニ於ケ一ハ天幕上部暖温スル利アリシ大部分暖温ニ廠舎上降雪堆積 スラバ廠舎内暗鬱ニシテ星間燈火方ノ射分ヲ入ルヘキ非ザレバ廠舎ハ其屋蓋ノ積雪量多コアリテ又強風ノ時一般ニ天幕雪ヲ以テ掩ハレタル天幕ヲ除キタル

【廠舎の寸法】

種類縦(m)横(m)気積(㎥)平均収容人員1人当面積(㎡)
天幕約6人
廠舎約2,5001,500弱29020人365

※寸法は廠舎により差異あり。積雪の深い場所に建設されたため高さにも差があった。

【天然換気の方法】

廠舎における天然換気は、屋根の蘆莚(あしむしろ)の間隙、周壁と屋根の接合部の空隙、および入口から行われた。吹雪が激しいときは、屋根の蘆莚の間隙を通じて雪が充填し、側壁の中央わずかな部分からのみ換気が行われた。衛生上適当な処置と認められた。

ある廠舎では、昼間時々屋根の外造りの間口を開けて換気を行わせた。内口に差を懸垂し、またある廠舎では直径約80cmの隧道(トンネル)を穿って換気を行った。

天幕の換気は、もともとその幕布の間隙によるものであった。降雪中は外面布と側面布の間隙に白雪が堆積するのを除去しやすく、天然換気が可能であった。

廠舎内では木炭を使用し、節約のために中央に暖炉を設け、約1〜2個の毛布で蓋をして天幕上部の暖温に利用した。ただし廠舎内は暗鬱で、昼間でも灯火が必要であった。

📝 注記:捜索隊の宿営施設は極めて簡素。蘆莚(ヨシ製のむしろ)で覆った仮設バラックで、吹雪時には雪が浸入し換気も困難であった。一酸化炭素中毒の危険もあったことがうかがえる。
被服ノ状況 搜索隊ノ服装ハ各隊略同一ニシテ人員ノ員数 左ノ如シ 綿ネル襦袢毛布下套各一、 防寒用毛布外套一、 絨外套一、 其上ニ藁製手套一、 防寒用毛皮腕着一、 毛絲手套各一、 綿メリヤス襪二、 靴一、 藁ヤス手套一、 身体中凍傷ノ發生最多ナル部ハ手足トス。故ニ全身特ニ手足ノ 防寒ニ注意ヲ加へタル左ノ如シ 足ヲ藁靴ノ上ニ紙及油紙ヲ附ケタル左ノ如シ頭部ニ藁覆タコフ 又藁ヲ以テ油紙上ニ踝部ヲ緊リクコフ 外套ノ袖口ヲ緊リ置クコフ 寝具トシテ一般ニ毛布ヲ支給セリ元來遭難地ノ氣溫ハ搜索初期ニ運搬ノ不便員ハ晝モ毛布ノ給與數ヨリ多カリ其目的ニ上ニ三枚ノ運搬迄各兵ニ被服品ハ追送品ヲカズ上ニ目的 地ニ達セズ一人約三枚ヲ以テ搜索ノ初期ニ配リ 低度四度乃至十度ナルヲ以テ毛布ヲ以テ搜索初期ニ遭搬ノ不便ナルヲ以テ搜索者ノ裝品ハ各日々ニ改修セラレタリ。 枚ノ毛布ヲ被布ヲ被リテ凍傷ノ與奮ヲ解キラ防寒其後體温下降稀ナルヲ以テ防寒ニ サレバ吹雪甚シキ各兵夜布ヲ解キ三月一日來一人平均五六枚ト得ナリ。 給養 體内ノ燃燒作用ハ旺盛トナル大ナル力體力ノ減損ヲ來シ且ツ空氣寒冷ナレバ皮膚ヲ刺戟シタリ。 吹雪甚シキ各兵夜聞ヲ眠ルホ疑眠ヲ結キ就クモ寒床ニ就クモ温ナルヲ防キタリシ。體ヲ以テ空氣膚ヲ覆ルシ。面レハ足初期ニ於テハ增給シタリ。 二月中旬頃ヨリ漸次善良トナレリ

【被服(服装)の状況】

捜索隊の服装は各隊ほぼ同一で、以下のとおりであった。

・綿ネル襦袢・毛布下套 各1、防寒用毛布外套 1、絨外套 1
・藁製手套 1、防寒用毛皮腕着 1、毛糸手套 各1、綿メリヤス靴下 2
・靴 1、藁やす手套 1

身体中で凍傷の発生が最も多い部位は手足であった。そのため全身、特に手足の防寒に注意を加えた。足には藁靴の上に紙および油紙を付け、頭部は藁で覆い、さらに油紙を上に踝部を緊縛した。外套の袖口も緊縛した。

寝具としては一般に毛布を支給した。遭難地の気温はマイナス4度ないしマイナス10度であり、捜索初期には運搬の不便もあって毛布は1人約3枚であったが、その後3月1日以降は1人平均5〜6枚を得るようになった。

【給養(食事)】

体内の燃焼作用は旺盛で、大なる体力の減損を来した。空気が寒冷であれば皮膚を刺激し、吹雪の激しい各兵は夜も疑眠(うとうと)のまま寒い寝床に就いた。

食糧は初期においては増給した。2月中旬頃より漸次善良(良好)となった。

📝 注記:捜索隊員の防寒装備は、遭難した第五連隊の装備に比べれば格段に充実していたが、それでも凍傷が多発した。毛布は当初1人3枚→3月以降5〜6枚に増加。
搜索隊生活ノ景況ヲ概言スレバ一月二十八日搜索ヲ開始シヨリ二月四日ヨリ八日ニ至ル間ハ最モ苦々シキ時期ニシテ 雪中ノ露營ニ至續シタル廠舎ノ情况ナリキ殊ニ二月四日ヨリ天候猛暴雪ノ侵入ヲ防カンニ寸時モ安息ヲ得タルコト。天幕ニ於テ特ニ粉雪ノ被壞ナルナキ時ハ紛雪ノ侵入ヲ防キ起リ 二月九日頃ヨリ漸次廠舎モ完備シ二月下旬ニ至リテハ平常屯營ニ在ルト大差ナキニ至レリ。 大差ナキニ至レリ。 搜索ニ從事シタル諸隊ノ患者員數ヲ比較スルニ第五聯隊ヲ最モ多シトス之ノ從事シ誠意戰友ヲ危難ヨリ探ラントシ 三、搜索隊患者概況 設備不完全ナル露營時期ニ患者多ク感冒ガ第一位ヲ占メ呼吸器病之ニ次ギ凍傷ガ續ケリ。衣食住ノ適否如何ヲ顧ミズ搜索時間ノ長キコト人員多キコト又其一因ナリ。其後漸次衛生法ヲ行ハシメ其概况ハ左ノ表ノ如シ 搜索隊新患員數表(自一月廿八日至五月三十一日) 【搜索隊新患員數表(自一月廿八日至五月三十一日)】 區分:步兵第五聯隊 步兵第三十一聯隊 砲兵第八聯隊 野戰砲兵第八大隊 工兵大八大隊 輜重兵第八大隊 新患員數:三三四、三四、二、九、一、九 治:三〇五 瘴死:― 亡轉:二九 遺後:―

【捜索隊の生活状況】

概括すれば、1月28日に捜索を開始してから2月4日~8日の間が最も苦しい時期であった。雪中の露営が続き、廠舎の状況も劣悪であった。特に2月4日以降は天候が猛烈に悪化し、暴雪の侵入を防ぐために寸時も安息を得られなかった。天幕では粉雪の侵入を防ぐことが困難であった。

2月9日頃から2月下旬にかけて徐々に設備が完備し、平常の屯営にいるのと大差なくなった。

捜索に従事した諸隊のうち、患者数は第五聯隊が最も多かった。これは戦友を危難から救い出そうとする誠意から、無理を押して従事したためである。

【三、捜索隊患者概況】

設備不完全な露営時期に患者が多発した。感冒(風邪)が最も多く、次いで呼吸器病、さらに凍傷が続いた。

所属部隊新患員数治癒瘴死転亡
歩兵第五聯隊33430529
歩兵第三十一聯隊34
砲兵第八聯隊2
野戦砲兵第八聯隊9
工兵第八大隊1
輜重兵第八大隊9
合計34630529
📝 注記:捜索隊自体からも346名の患者が発生。第五聯隊の334名が圧倒的に多いのは、遭難した戦友を救おうとして最も過酷な条件で捜索に従事したためである。
四、生存者ノ救護並ニ治療 遭難者中搜索隊ニ救助セラレ搜索開始四日以上ノ患者及遭難生存者ノ患者數ヲ示ス面シテ 本表ハ就業四日以上ノ患者及遭難生存者數ノミヲ示ス 二、本表ハ搜索開始以来ノ患者及遭難生存者ヲ入レセス 一、發見時場所並ニ景况 入院八名ナリ今其經過ノ概要ヲ見ルニ 少尉 山口 鑒 一月三十一日午後三時大瀧ノ下流谷底ニテ發見 四肢凍傷步行スル能ハズ 精神異狀ナシ         二月一日夜入院治療         二月二十八日午後九時死亡 大尉 倉石 一 發見時場所並ニ景况         入院治療効ヲ奏セズシテ今其經過 中尉 伊藤 格明 二月二日ニ於テ平澤小屋 特務曹長 長谷川 貞三 得タリ時步行スクナ力ヲ 伍長 後藤 房之助 見於鳴澤北方八時ニ發見立テ精神異狀ナシ。四肢凍傷步行不能           二月三日入院治療 伍長 三浦 武  雨下肢他ニ凍傷中央截斷一          月三日一日入院治療。三月二十一日手術ノ          經過全治退院。再犯後復覆リシモ          語明瞭精神異狀ナクタルバ四肢凍瘡遍近步行精ナル能力

【四、生存者の救護および治療】

遭難者のうち捜索隊に救助され入院した者は8名であった。その経過の概要は以下のとおりである。

階級氏名発見状況入院・治療経過
少尉山口鑒 1月31日午後3時、大瀧平の下流谷底にて発見。四肢凍傷、歩行不能。精神異状なし。 2月1日夜入院。2月28日午後9時死亡。
大尉倉石一 身体衰弱、四肢凍傷。歩行困難。 入院治療。治療の効なく(詳細は次頁)
中尉伊藤格明 2月2日、平澤小屋附近にて発見 (次頁に続く)
特務曹長長谷川貞三 歩行する力わずかにあり (次頁に続く)
伍長後藤房之助 鳴澤付近にて発見。立ったまま精神異状なし。四肢凍傷、歩行不能。 2月3日入院治療。
伍長三浦武 下肢その他に凍傷 1月31日入院。経過不良。3月14日死亡。⚠️【注記:書き起こし当初「経過全治退院(3/21手術)」と誤記。一次資料スキャン(p.172)に「三月十四日死亡」と明記されており修正。】
📝 注記:後藤房之助伍長は「鳴澤北方にて立ったまま」発見された。これは有名な「直立仮死」の状態であり、銅像のモデルとなった。山口少尉は入院後約1ヶ月で死亡している。
【p.174-175:生存者治療記録表(続)】 一等卒 阿部卯吉 三月一日入院。上肢右手中央指、下肢右下膝腿部外中央截斷。經過良好。創面全治。營養良好。 一等卒 山本德次郎 二月一日入院。三月二十六日手術。左下肢截斷。 一等卒 及川平助 發見時歩行スルコトヲ得タリ。上肢指末節截斷。右下肢アキレス腱截斷。經過良好。全治。 伍長 高橋房之治 二月一日入院。經過不良。二月一日午前九時四十分心臟麻痺ニテ死亡。 伍長 小原忠三郎 二月二日午後四時大瀧平ノ下流谷底ニテ發見。全四肢凍傷。步行困難。二月二十日手術。下肢右膝指截斷。 二等卒 佐々木正教 兩下肢大腿中央截斷。二月二十三日入院治療。經過不良。二月二十五日死亡。 二等卒 小野寺善平 八月凍瘡起立スル能。二月二十三日入院治療。九時四十分精神正。午後七日死亡。 二等卒 紺野市太郎 全下肢右下膝下截斷。二月九日入院治療。二月二十七日死亡。 一等卒 後藤惣助 發見時四肢凍瘡。但シ手ノ自由有。         二月二日午後四時。四肢凍傷手ノ自由有。 伍長 村松文哉 左上肢左前腕膝分離三。右下肢下肢中央截斷。經過再犯後復覆良好シモ 【p.176-177:第六、死体取扱業務】 編成 其以南ヲ搜索地域トナシタメ大尉内野秀三郎ヲ以テ五十嵐雄太郎人員ヲ左ノ如シ 搜索隊死体檢案所 三十日ニ至リ其業務ヲ開始シ搜索隊ノ發見セル死体ヲ檢案スルニ第八哨所ニ死体檢案所ヲ設置セリ 檢案所ノ業務ニ從事セシメタリ。生存者發見ノ際ハ搜索係ト共ニ之ニ當リ平時ハ入院患者ノ治療ニ從事セリ。搜索隊ノ死体發見スルコト頗ル多ク且其檢案ニ附スル軍醫ヲ派遣シ各隊共ニ檢案ヲ行ヒ其取扱ニ當タレリ 第八哨所  階級 大尉       全 相當 高橋哨所  二等軍醫 柏村 五十嵐雄三 折居 本多哨所  二等軍醫  中澤吉三郎       三等軍醫 軍醫 鶏ノ澤      下士以下 計二七 二

【生存者治療記録(続き)】

階級氏名入院日手術・治療経過
一等卒阿部卯吉3月1日上肢右手中央指・下肢右膝腿部截断良好・全治
一等卒山本德次郎2月1日(手術3/26)左下肢截断手術・回復
一等卒及川平助2月1日上肢指末節截断。右下肢アキレス腱截断。経過良好・全治
伍長小原忠三郎2月2日四肢凍傷、2月20日手術、右膝下截断(記載続き)
二等卒佐々木正教2月23日両下肢大腿中央截断経過不良。2月25日死亡。
二等卒小野寺善平2月23日凍瘡、起立不能死亡
二等卒紺野市太郎2月9日全下肢右膝下截断経過不良。二月二十七日死亡。
一等卒後藤惣助2月2日四肢凍傷。手の自由あり。比較的良好
伍長村松文哉左前腕・右下肢中央截断(記載続き)

【第六、死体取扱業務】

編成:大尉・内野秀三郎および五十嵐雄太郎が人員を統括した。

捜索隊死体検案所:第八哨所に設置。30日に業務を開始し、捜索隊が発見した死体を検案した。生存者発見の際は捜索係とともに対応し、平時の入院患者治療とは分離した。

哨所階級担当軍医
第八哨所大尉(全般統括)
高橋哨所二等軍医柏村・五十嵐雄三・折居
本多哨所二等~三等軍医中澤吉三郎・鶏ノ澤
一、田茂木野死体收容所 編成 一月三十日始メ 監視ト スル搜索ニ附隨セル兵卒ヲ以テ初ノ運輸業務ヲ檢案認定セリ。死体ヲ檢案スル能ハサルセクシムヲ以テ之ヲ田茂木野ニ死体檢案所ヲ設ケ其ヲ認識スル能ハサル容說ヲ見分スルセクシム。 是ニ於テ翌三十一日左ノ如ク編成ヲ改メタリ 將 大尉 本郷藤四郎   少尉 三神定之助 校 特務曹長 後藤房吉 見習士官 後藤房吉 下士以下 二五 計 二九 七哨所ニ死体ノ全部發見サレ四月下旬ニ至リ搜索業務縮小セラレ二月下旬ニ至リ更ニ其編成ヲ小サクシテ第五 將校者ク死体檢案所ヲ合併セタリ且ッ白雪ニ塗レ 月廿八日死骸ノ全部發見サル前進セリメ死体ノ數小ニシテ下士以下五名ヲ以テ之ヲ處理シ然ル後納棺。 觀者ヲシテ死觸面ヲ藏シム依之ヲ温メ被服ヲ改裝シ然ル后納棺 業務 七哨所ニ死体ノ全部前進ノ死体檢案所ヲ組織タリ 一月二十九日直ニ鐡製寝台ヲ田茂木野ニ送リ炭火ヲ以テ 死體ノ暖屍法ハ概六時間乃至十二時間ヲ要シタリ其全クヤ柔軟トナルヲ分タス之行ヒタリ而シテ其經台ヲ用ゐ死ニ溫度ヲ適度ニ維持セシメヒ之經台上ニ廠舎及毛布蓆蓙ヲ以テ裝置セリ而シテ此經台上ニ炭火ヲ置キ 布ヲ附シ死體ヲ安置セシメ之ヲ温メ毛繊製蓙台ヲ以テ裝置セリ 三、屯營死体收容所 屯營死体收容所ハ庶務部ニ於テ之ヲ兼掌シ委員中尉中村中郎ニ下士以下若干ヲ附シ死體收容所ハ其業務ヲ擔任セシ第二・第三號雪覆練兵場ヲ充テ死體ヲ受領スルヤ之ニ姓名ヲ確認シ更ニ當該安置シ更ニ防臭劑ヲ施シ其遺族ニ通報ス 一、檢案書ノ受領ス 二、死体ヲ聯隊ニ到着スルヤ其姓名ヲ確認ス 三、死亡屆書ノ調查シ 四、理葬屆書ノ調製 五、遺族ニ通知スル即日聯隊長ノ名ヲ以テ筒井村戸籍役場ニ届出ス

【一、田茂木野死体収容所】

1月30日より業務開始。捜索に随伴した兵卒をもって初期の運搬・検案業務を行った。死体の身元確認が困難な場合、田茂木野に死体検案所を設けて識別を行った。

翌31日、以下のように編成を改めた。

階級氏名
大尉本郷藤四郎
少尉三神定之助
特務曹長後藤房吉
見習士官後藤房吉
下士以下25名、計29名

4月下旬に至り捜索業務縮小。2月下旬以降はさらに編成を小さくし、第五哨所の検案所と合併した。

【死体の暖屍法(融解処置)】

直ちに鉄製寝台を田茂木野に送り、炭火をもって死体を融解した。死体の融解には概ね6時間ないし12時間を要した。鉄製の台に炭火を置き、適度な温度を維持して毛繊製の蓙台に安置し、死体が完全に柔軟となるまで行った。

【三、屯営死体収容所】

屯営死体収容所は庶務部がこれを兼掌し、委員の中尉・中村中郎に下士以下若干名を付した。第二・第三号の雪覆練兵場を充て、死体を受領した。

業務手順:

一、検案書の受領
二、死体が聯隊に到着したとき姓名を確認
三、死亡届書の調査
四、埋葬届書の調製
五、遺族に通知(即日、聯隊長の名をもって筒井村戸籍役場に届出)

📝 注記:凍結した遺体を融解するのに6〜12時間。鉄製寝台に炭火で温める方法が採られた。屯営収容所では身元確認→検案書受領→死亡届→埋葬届→遺族通知という手順が体系化されていた。
六、汽車輸送證明書ノ調製 七、汽車輸送スル死體ノ員數及有無ヲ青森驛長ヘ通知 八、死體ノ發送ニ際シ死骸掛ノ下附願ヲ調製 九、汽車輸送ノ認許ト同時ニ原籍村役場及ビ遺族ニ電報ニテ通知 十、火葬及遺骨ノ發送 十一、火葬認許者ヘ納骨箱ノ交附。遺族ノ要求ニヨリ左ノ種類ニ分チテ遺骸ヲ 處分セリ 一、遺族出頭セズ死體掛員ニ於テ埋葬スルモノ 二、遺族ニ引渡セズ死體掛員ニ於テ汽車輸送スルモノ 三、死體掛員ニ於ケル汽車輸送スルモノ或ハ火葬ニ附スルモノ 死體ノ引渡シハ遺族掛員ノ手ヲ經テ差出シタル順ニ依リ毎日午后一 時家族交付書ニ依リ遺族驛書面ニ着名シ之ヲ兩面ニ着名刺及兩面ニ姓名ノ番號ヲ記 者ハ直タル木札ニ固定スル。白布ニ納棺シ上ノ埋葬トモ 前同様ノ手續ヲ以テ融解シ全身ノ後火葬用棺ニ納メ白布ヲ以テ覆ヒ姓名ヲ シ温メ死體收容所ハ棺ニ納メ引渡シ監視兵ヲ附シ死體引渡火葬ノ明ノ 宿直ニ凍瘡全ク融解シ柔軟トナルヲ以テ火葬場ヲ待チテ待チテ第二項ニ據ル便宜ヲ圖リ遺族ノ便宜ヲ計レリ 骨ハ小包便ニ取扱ニ係ル原地ノ町村役場ニ宛テ遠送附セリ遺族委員ヲ 死體遂ハ日本鐵道會社ノ好意ヲ以テ無料トナシ大ニ遺族ノ便宜ヲ計レシ火葬後ニ於テ青森市役

【屯営死体収容所の業務手順(続き)】

六、汽車輸送証明書の調製
七、汽車輸送する死体の員数および有無を青森駅長へ通知
八、死骸掛の下附願を調製
九、汽車輸送の認許と同時に、原籍村役場および遺族に電報にて通知
十、火葬および遺骨の発送
十一、火葬認許者への納骨箱の交付

【遺体の処分区分】

遺族の要求により、以下の3種類に分けて遺骸を処分した。

一、遺族が出頭せず、死体掛員において埋葬するもの
二、遺族に引渡し、汽車輸送するもの
三、死体掛員において火葬に附するもの

【死体の引渡手続】

遺族への引渡しは、遺族掛員の手を経て差出した順により毎日午後1時に行った。家族交付書により遺族が署名し、棺の両面に姓名札を付した。木札に固定し、白布に納棺して引き渡した。

凍結した死体は同様の手続きで融解し、全身が柔軟になった後に火葬用棺に納め、白布で覆い姓名を記した。

日本鉄道会社の好意により、遺体の汽車輸送は無料とされ、大いに遺族の便宜が図られた。火葬後の遺骨は小包便にて原籍地の町村役場宛に送付した。

📝 注記:日本鉄道会社(現JR東日本の前身の一つ)が遺体輸送を無料にしたことは、当時の社会的連帯の表れ。遺骨は小包便で原籍地に送付された。
死体ノ取扱レ斯ノ如ク慎重ヲ加ヘタリシカ初八ハ凍結ノ爲メ姓名ノ判別困難ノ珍モ窮リ。 五月十日松森村ノ如キ苦シ慎重ヲ加ヘタリシカ初八凍結ヲ溶カシメ駒込川岸ニ漂着セル者九名中ノ人相ヒ照ス身體ノ凍傷ナラ顏部ニ遭難者ト確定シタリ。善四郎ナルコトヲ確認シタリ。モ赤裸體ニシテ其変敗シ其姓名ヲ辨別困難ナルモノアリ。 見者九名ノ中ノ人先甲ハ全ク裸體ニシテ手足ノ體ノ凍傷ナラ顏部遭遺者ト 兵佐藤勝治ナルコト結著シ共ニ裸體ニナリ之五名ヲ以テサシ唯身長大ナル彈盒附シ帶革及服綴草ノ顏形ノ戰友中白齒蟲齒ノ ラ結著シ共ニ定セリ之五名ハカーヲ以テ右脚ノ附シ着草及第五中隊一等卒澤藤 聯隊ヲ嗟嗟ハヨリ實驗セシ鳴澤ニ於テ同時ニ調査スルニ由リ 五月甘二日ノ寶父ヲモ其誤マリ死体附服ヲ鄉セリ以テ終ニ 致シ其言ヲ明言シ同人ノ火葬ニ附セル後先ノ遺族ヲ招キ受領セシ之而テ更ニ新發見死体ハ再調查至十日ヲ確認セリ。死體ノ後第六中隊伍長佐藤哲治ナル死体再發見。 五月廿八日最終發見ナリ。又同人ノ骨格相達キ調查シタルモノヲ返セシメ更ニ新發見 聯隊ヲ喇叭長ヲ實驗セシ鳴澤ニ於テ引渡シ遺族ニ事情ヲ語リ 死体甚ダ全クシテ其業務ノ終局ヲ見ルニ至レリ。等兵ノ遺族ニ附火葬ニ引渡シ結

【死体の取扱い】

死体の取扱いはこのように慎重を期したが、当初は凍結のために姓名の判別が困難であった。

5月10日、松森村付近の駒込川岸に漂着した遺体が発見された。9名の中には全く裸体の者もおり、顔面も変敗(腐敗)して姓名の判別が困難なものがあった。

遺族との確認作業では、裸体で身体の凍傷が激しい場合でも、身長・弾盒(弾薬入れ)付帯革・服の綴草・顔形・白歯虫歯などの特徴から身元を特定した。

第五中隊一等卒澤藤は右脚の特徴から確認。兵・佐藤勝治は戦友の証言により確定した。

5月22日、実父を招いて実験(照合)を行い、火葬に付した後に遺族を招いて受領させた。さらに新たに発見された死体は再調査を行った。

第六中隊伍長・佐藤哲治の死体は再発見により確認された。

5月28日が最終発見となり、すべての業務の終局を見るに至った。

📝 注記:遺体の身元確認は困難を極めた。凍結・変敗した遺体を歯や体格的特徴から特定するという作業が行われた。最終発見は5月28日。全199名の遺体が確認された。
第七章 家族掛
第七、家族掛設置業務 一、家族掛設置當時ノ景況 一月廿七八日頃行軍隊遭難ノ事ヲ知リ遠近一同驚愕セリ。 電報ヲ以テ行軍隊遭難ノ事情ヲ流布スルモノ遠近各々驚愕セリ。是等ニ應答シ又書簡ヲ以テ遭難者名稱ヲ通知シ二十九日鄉里ヘ更ニ通知シ又岩手宮城兩縣知事ニ打電シ聯隊ハ三十日ニ至リ家族掛ヲ設置セリ。 家族トノ連絡事務多シ。搜索中ナルコトヲ通知シ一月三十日ヨリ家族及慰問者等ノ來訪者漸次增加セリ。 家族掛 委員座長:步兵少尉 宮原正人 家族掛委員及地方出張員 (一)家族掛委員 (二)家族掛設置業務大ニ纒マルニ至レリ。 一、委員擔任事務 青森縣參事官及縣廳ハ一月三十日ヨリ岩手縣參事官及縣廳ヲ出張シ家族掛ト交涉ヲ及宮城縣廳並宮城 業務ノ一部ヲ分掌シ此ノ部ノ事務大ニ纒マルニ至レリ。 又盛岡聯隊區司令官ハ二月二日ヨリ全副官ハ兩者意志ノ疏通ヲ計リ家族掛聯隊地方ト連繋事務ノ 一、委員擔任事務 (一)家族掛 一、家族及慰問者ノ宅或ハ宿泊所ニ就キ時々慰問シ家族ノ痛恨ヲ慰籍シ且 遠ニ通報シ生存者ニ對シテハ入院後ノ經過ヲ 速ニ通報シ死体發見及死体屯營到着ヲ 家族ノ及縣事ニ就キ便宜ヲ圖ル 家族及慰問者ノ宅或ハ宿泊所ニ就キ便宜ヲ圖ル 一、萬般ニ就キ家族ノ意見ヲ取扱ス 一、死体處分ニ關スル死体引渡死体受領証及貯金受領証及理葬料受取之代書及其手續ノ指示 一、死体引渡ノ外常ニ家族ノ宿泊ニ就テモ定ケリ期 以上聯隊ト方トノ交涉連絡ニ任ジ媒介者ノ位置ニ立チラ 便宜ヲ遭難者家族及慰問者懇談所ヲ將校及兵會食所ノ一部ニ且ツ屯營附近ニ設備ノ宿泊 營ニ全力ヲ注ギ家族ノ滿足ヲ前面ニ協力シ外設内部ノ紛絶ニ達シ得ルニ能ハザルコトハ遺族ノ企望ヲ確メタル 對ノ懇切ニ死體ノ引渡方法及輸送方及ビ檢送ノ 方針確定シ其死體遂ニ無料ト行フコト三日ニ至レリ。火葬ニ於テ青森市役 志ニ就リ共死體薪車輸送ハ日本鐵道會社ノ好意ヲ以テ無料トナシ大ニ遺族ノ便宜ヲ計レシメリ。 是ヨリ先ヅ死体引渡ノ (二)聯隊區司令部 主トナシテ軍隊ト方ト交涉連絡ニ任ジ 委員事務ヲ補助シ家族宿泊者ノ取扱及ビ恩給請求ニ關スル說明ヲ (三)縣出張員 青森縣參事官及縣廳書記ハ一月三十一日ヨリ出張シ家族掛ト交涉ノ間ニ立チラ聯隊地方ヲ連繋事務ノ

【第七、家族掛設置業務】

一、家族掛設置当時の状況

1月27〜28日頃、行軍隊遭難の事実が知られると、電報により事情が広く流布し、遠近の人々が驚愕した。聯隊は応答に追われ、書簡をもって遭難者の名称を通知した。29日には郷里へさらに遺族方への依頼を行い、岩手・宮城両県知事にも打電した。30日に至り、「家族掛」と通称される組織を設置した。

家族との連絡事務が急増し、1月30日より家族および慰問者の来訪が漸く増加した。

【家族掛の編成】

委員座長:歩兵少尉・宮原正人

【一、委員担任事務】

(一)家族掛の業務:

・家族および慰問者の宅または宿泊所を訪ね、時々慰問し家族の痛恨を慰籍(慰める)
・生存者に対しては入院後の経過を迅速に通報
・死体発見および死体の屯営到着を速やかに通報
・家族の県事(行政手続)に関する便宜を図る
・家族および慰問者の宿泊所の便宜を図る

・万般にわたり家族の意見を取扱う

・死体処分に関する死体引渡書・受領証・貯金受領証・埋葬料受取の代書およびその手続きの指示

・死体引渡のほか、常に家族の宿泊についても配慮した

遭難者家族および慰問者のための懇談所を将校・兵の会食所の一部に設け、屯営付近に宿泊設備も準備した。

遺体の汽車輸送は日本鉄道会社の好意により無料とされ、大いに遺族の便宜が図られた。

(二)聯隊区司令部

軍隊と地方との交渉連絡に任じ、委員事務を補助した。家族宿泊者の取扱いおよび恩給請求に関する説明を行った。

(三)県出張員

青森県参事官および県庁書記は1月31日より出張し、家族掛と連携して聯隊と地方との連繋事務にあたった。

📝 注記:「家族掛」は現代でいう遺族支援室に相当する組織。歩兵少尉・宮原正人を委員長として、遺族の慰問・手続支援・宿泊手配・死体引渡しまで一括して担当した。青森県・岩手県・宮城県の行政官も出張して支援にあたっており、官民一体の体制が構築されていた。