第五章(続)捜索救護の実施
第八 哨所
| 配置 | 鳴澤哨所 | 本多哨所 | |
|---|---|---|---|
| 将校 | 大尉 高崎政三郎、中尉 松平誠賢、少尉 工藤豪吉 | 大尉 本多音義夫 | |
| 下士以下 | 六〇 | 六三 | |
| 計 | 六三 | 六六 | |
※ 高島哨所:大尉 高島政三郎
第八哨所全体:大尉 上田幸臣、中尉 鈴木秀三郎、少尉 鎌倉石右、特務曹長
衛生部:大尉 高崎義三郎、中尉 佐藤秀雄、中尉 高橋四郎
長 吉田義夫
第八哨所の人員配置:
第八哨所は田茂木野地区に設置された捜索の前進拠点で、複数の分哨所に分かれていた。
| 哨所名 | 指揮官 | 配置人員 |
|---|---|---|
| 第八哨所本部 | 大尉 上田幸臣 | 統括 |
| 鳴澤哨所 | 大尉 高崎政三郎、中尉 松平誠賢、少尉 工藤豪吉 | 約60名 |
| 本多哨所 | 大尉 本多音義夫 | 約63名 |
| 高島哨所 | 大尉 高島政三郎 | — |
| 衛生部 | 中尉 鈴木秀三郎 | — |
各哨所にはそれぞれ将校・下士官が配置され、系統的な捜索体制が敷かれた。
初メ第二大隊遭難ノ兒報ニ接スルヤ聯隊長ハ
正午衛生部員ノ増加ヲ師團ニ電請スルヤ此ニ於テ聯隊長ハ電線ノ架設ヲ後藤軍醫
森ニ來着兵營ニ於テ聯隊ニ通知スルヤ此ニ於テ
各哨所ヲリ一等軍醫坂定義二助ヲ配置シ
三十日味爽第七以南衛生事務ヲ掌リ各哨所ニ構築ス
九時前後捜索隊一部ハ版合ノ各哨所一ハ昨夜ノ宿營地ヲ出發シ此日天氣晴朗
三哨所ヲ至リ河原高地附近ニ於テ中尉中野義次郎以南
六名ノ死體ヲ發見セモ其狀中尉鼻先ニトシテ東南接近ノ方向ニ百方手ヲ
段ヲ盡クシ繰隊ハ百方力ヲ盡シ其狀惨酸鼻ナルモノアリ捜索隊ハ先ヅ
此日ヨリ第八哨所ヲ各哨所ニ附設シ死體ノ收容搬送ニ勉メタリ日没過シ各中澤〔鳴澤〕哨所ニ露營シ
哨所ニ兵卒若干ヲ移シ田茂木野第八哨所間ノ電信監視ヲ主管トナシ又此日幸畑ニ特務部ヲ設ケ
三十一日天氣晴朗ナリ朝ヨリ捜索ニ從事ス午前九時頃阿部中尉ノ指揮スル一部ノ捜索隊ハ
鳴澤ノ炭小屋ニ於テ生存者伍長三浦武雄一等卒阿部卯吉ヲ發見
シ尋チ午後三時頃高島大尉ノ指揮スル搜索隊ハ同ク鳴澤ニ於テ中尉
捜索体制の確立:
第二大隊遭難の第一報に接した聯隊長は、直ちに衛生部員の増加を師団に電請した。電線の架設を命じ、各哨所に一等軍医・坂定義之助を配置して衛生事務を掌らせた。
1月30日味爽(未明)より第七哨所以南の各哨所を構築。この日は天気晴朗であった。九時前後、捜索隊の一部が河原高地付近において中尉 中野義次郎以下六名の死体を発見した。その状態は惨酸鼻を極めるものであった。捜索隊は百方力を尽くし、死体の収容搬送に努めた。日没を過ぎ、各隊は鳴澤哨所に露営した。
この日より第八哨所を各哨所に附設し、田茂木野・第八哨所間の電信監視を主管とした。また幸畑に特務部を設けた。
1月31日天気晴朗。朝より捜索に従事す。午前九時頃、阿部中尉の指揮する一部の捜索隊が鳴澤の炭小屋において生存者を発見した。
午後三時頃、高島大尉の指揮する捜索隊もまた鳴澤において中尉の遺体等を発見した。
水野忠宣以下三十三名ノ死體ヲ發見セリ
搜索隊ハ百方力ヲ盡シ生存者ノ救護死體ノ收容ニ勉ム午後四時頃一
人影ヲ認メリ僥倖ヲ之ヲ第八哨所及ビ第九哨所ニ報ジ其聲ヲ聞キ狂喜シ之ヲ奔リ西南岸高地ヲ行進中偶々駒込川ノ方向ニ
正等此ニ在リ狂喜シ聯隊長武谷一等軍醫ノ手當ヲ施シ
カトシテ水野忠宣以下三十三名ノ死體ヲ發見セモノナリ
シアルヲ登見ス山本德次郎一等卒大尉倉石一大尉伊藤中尉等ノ生存
顏容憔悴手足凍傷ニ罹リ起居比較的自由ヲ失シ
三郎一等卒レバ少佐以下數名ハ比較的強健ナリシモ倉石大尉ハ數日ノ疲勞飢餓ニ憊レ
伊藤中尉及川一等卒ハ毛布繊包ヲ以テ辛ジテ身體ヲ裹ミ
倉石大尉ハ既ニ手足凍傷多シ身體ノ衰弱甚ダシク唯懸崖ノ
非力ノアリ
初メ時間ヲ貴ビ報告ト共ニ田茂木野ノ第八哨所ニ全員ヲ救護得タリ
午後十二時過大隊長ト共ニ大隊ノ運搬材料及糧食ヲ
生存者ノ此報告ト共ニ田茂木野ノ第八哨所ニ搬送セリ
數百尺ノ容易ナラズ下スルコト能ハズ兵ヲ擧ゲ聯隊長武谷一等軍醫ノ手當ヲ
數等此ニ在リ狂喜シ第八哨所及ビ第九哨所ニ報ジ急ギ搜索隊ノ教護ヲ得タリ
大量遺体の発見:
搜索隊は水野忠宣以下三十三名の死体を発見した。百方に力を尽くして生存者の救護と死体の収容に努めた。
午後4時頃西南岸高地を行進中、偶然にも駒込川の方向に人影を認めた。第八哨所及び第九哨所に報じ、その声を聞いた兵卒は狂喜して駆けつけた。
発見された生存者:
・山本德次郎一等卒 ― 比較的強健であったが疲労※階級「少佐」→「一等卒」に修正(Part6・Part7・Wikipedia で確認)。負傷は左足截断(Wikipedia)
・倉石一大尉 ― 手足の凍傷甚だしく、身体の衰弱極めて著しい。数日の疲労と飢餓に憊れ果てていた
・伊藤中尉 ― 毛布繊包をもって辛うじて身体を裹んでいた
・及川一等卒 ― 同様に毛布で身体を裹んでいた
・その他の者も顔容憔悴し、手足が凍傷に罹り、起居の自由を失っていた
懸崖(断崖)の上に在ったため、数百尺を容易に下すことができず、兵を挙げて搬送にあたった。聯隊長が武谷一等軍医に手当を施させ、田茂木野の第八哨所に全員を救護搬送した。
正午過ぎ、大隊長とともに運搬材料及び糧食を搬入した。
ノ強風雪トナリシガ搜索開始以來此期間ニ於ケル天候ハ概シテ良好
赤十度前後ニ寒威激甚ナリ搜索實施上大ニ田茂木野以南ヘ氣候ノ變化甚シク比較的ニ温ノ日モ其以南ハ
ナリ一旦強烈パ西北風ナルパ恒ニ西北風ニシテ寒威激甚ナリ田茂木野以北ハ靜穩ナルモ其以南ハ
疾風雪ヲ飛バシ且ッ強烈パ寒威激甚ナリ田茂木野以南ヘ其風向ハ恒ニ西北ナリ
搜索實施上大ニ困難ニシテ廿八九ノ兩日ハ天稍好シ搜索中止ヲ
二十八九ノ兩日ハ風和ギ天稍好シ搜索隊ヲ出發セシメ生存者及死體ヲ多ク搜索發見ス
ル好天ノ状況ヲ呈シ三十日三十一日ノ好天ニシテ搜索ニ大ナル進捗アリ
ニ進捗セリ翌日ハ再ビ不良ノ状況ヲ呈シ
雨日ハ天稍好シキ程度ニ至ラズ然レドモ搜索ヲ繼續セリ
捜索期間の天候:
捜索開始以来、この期間における天候は概して良好であった日は少なく、気温は氷点下十度前後に達し、寒威が激甚であった。
特に田茂木野以南では気候の変化が甚だしく、田茂木野以北が静穏であっても、以南に入ると強烈な西北風が吹き荒れた。風向は恒に西北で、疾風雪を飛ばし、捜索の実施上、大いに困難を極めた。
二十八、二十九の両日は風が和らぎ天気がやや好転し、捜索隊を出発させて生存者及び死体を多く発見した。三十日・三十一日も好天が続き、捜索に大きな進捗があった。
しかし翌日には再び天候不良となり、捜索を困難にした。
第三、搜索救護第二期(自二月一日至二月九日)
既ニ第一期末ニ達スル如ク茲ニ第三十一聯隊ノ増援隊ヲ得タルヲ以テ搜索隊ヲ更ニ充實シ
之ヲ新タニ五個ノ傳令哨ニ充テ第五聯隊第三十一聯隊ノ合同ヲ以テ搜索隊ヲ編成シ
シ平岡少佐以下必要人員ハ帰營セシメ
搜索隊ヲ編成シ左ノ表ヲ以テ前方ニ捜索地域ヲ規定スルニ至レリ
〔給養に関する記述〕
蕎付燒鶏付燒魚遠午蕎蕪子奈良漬南蠻漬大根漬干等ノ類ナリ
セシガ其結果良好ニシテ現品ヲ給與シ炊事ノ便宜ヲ得タリ燃料ノ如キ平素ノ二倍以上ヲ要シタリ此
一般ニ結果良好ナリシモ現品ヲ給與スルニ炊事所ノ飯盒ヲ以テ調理能ハザルニ至レバ各個自炊ナシタクシ
除ケ其最モ便利ナル法ハ之ヲ竹ノ皮包トナシ飯盒ヲ以テ炊事スル能ハザル時ニハ
副食物ノ之ヲ希望スルニ至レバ冷飯ニ依リ各個自炊ナシタルコトモアリ
ラ一般ノ結果良好ナリ其種類ハ牛肉缶詰壜藏鶏等ノ類ナリ
第三 捜索救護第二期(二月一日〜二月九日)
第一期末において歩兵第三十一聯隊(弘前隊)の増援隊を得たことにより、捜索体制を大幅に拡充した。新たに五個の伝令哨を設置し、第五聯隊と第三十一聯隊の合同で捜索隊を編成した。平岡少佐以下の必要人員は帰営させた。左の表をもって前方の捜索地域を規定した。
給養の改善:
副食物として蕎麦付・焼鶏・焼魚・遠午蕎(そば)・蕪子・奈良漬・南蛮漬・大根漬・干物等の類を支給した。
結果は概ね良好であった。現品を給与し炊事の便宜を得た。燃料は平素の二倍以上を要した。飯盒をもって炊事所で調理できない状況に至った場合は各個に自炊させた。最も便利な方法は竹の皮包みにして携行させることであった。
副食物の種類は牛肉缶詰・壜藏(瓶詰保存食)・鶏等の類であり、一般に結果は良好であった。
搜索隊本部 田茂木野 (島嶼別)
| 配置 | 将校 | 准士官 | 下士以下 | 計 |
|---|---|---|---|---|
| 搜索隊本部 | 少佐 田村宣明、中尉 吉田如志 | 一 | 二四 | |
| 死體收容所 | 大尉 原田清治 | |||
| 貨物集積所 | 少尉 遠山遼 | |||
| 哨所 | 中尉 山本清次郎 | |||
| 患者收容所 | 少尉 見島定之助 | |||
| 電信隊 | 一等軍醫藤村上三守 | |||
| 傳令哨 | 中尉 渡邊精一、特務曹長 渡邊房吉 |
| 哨所名 | 区分 | 指揮官 |
|---|---|---|
| 第十二哨所 全 | 中尉 本田造世 | |
| 第十三哨所 全 | 大尉 鑑田宗八、中尉 渡邊精一 | |
| 第十四哨所 全 | 中尉 植田新平 | |
| 第十五哨所 全 | 中尉 柏村三守 |
第二期の捜索隊組織:
田茂木野に搜索隊本部を置き、少佐・田村宣明が指揮を執った。以下の配置がなされた。
| 役職・配置 | 指揮官 | 任務 |
|---|---|---|
| 搜索隊本部 | 少佐 田村宣明、軍医 吉田如志中尉 | 全体指揮・統括 |
| 死体収容所 | 大尉 原田清治 | 発見遺体の収容・管理 |
| 貨物集積所 | 少尉 遠山遼 | 物資集積・補給 |
| 患者収容所 | 少尉 見島定之助 | 生存者・負傷者の収容治療 |
| 電信隊 | 軍医 藤村上三守 | 通信確保 |
| 傳令哨 | 中尉 渡邊精一、特務曹長 渡邊房吉 | 連絡・伝令 |
第十二〜第十五哨所を含む前線拠点を展開し、田茂木野を後方基地として系統的な捜索体制を構築した。
ノ強風雪トナリシガ搜索開始以來此期間ニ於ケル天候ハ概シテ良好ナラズ
赤十度前後ニシテ搜索實施上大ニ困難ヲ來タシ田茂木野以南ヘ氣候ノ變化甚シク此ニ於テ
ナリ一旦強烈ナル西北風ニシテ寒威激甚ナリ田茂木野以北ハ靜穩ナルモ其以南ハ
疾風雪ヲ且ッ強烈ナル寒威田茂木野以南ヘ其風向ハ恒ニ西北ナリ
搜索隊ヲ困難ノ域ニ陷レタリ二月二日及三日ハ風雪猛烈ニシテ搜索中止ヲ敢テシ
翌日ハ天稍好轉シタレドモ再ビ不良ノ状況ヲ呈シ
斯クテ佐藤小隊ノ元湯ニ至ルヤ更ニ生存セル伍長村松文藏及ビ死體
一個ヲ發見セリ時既ニ午後三時ヲ過ギルヲ以テ患者村松伍長ヲ新潟方面ニ移シ先ツ手當ヲ施シ本夜元湯ニ露營
所ニ收容セシメ伍長ニ急手術ヲ施シ午後十一時暗ク
新潟ニ遣リ加フルニ患者村松伍長ニ先ヅ手當ヲ施シ本夜元湯ニ露營セリ
天候と捜索の困難:
この期間の天候は概して不良であった。気温は氷点下十度前後で、田茂木野以南では気候の変化が甚だしかった。田茂木野以北が静穏であっても以南は強烈な西北風と激しい寒威に見舞われた。
2月2日・3日風雪が猛烈となり、捜索中止を余儀なくされた。翌日は天気がやや好転したが、再び不良の状況を呈した。
佐藤小隊の元湯到達と生存者発見:
佐藤小隊が元湯に至ったところ、さらに生存者として伍長 村松文藏および死体一個を発見した。時刻はすでに午後三時を過ぎていた。患者・村松伍長にまず手当を施し、新潟方面に搬送の手配をした。本夜は元湯に露営した。午後十一時、暗闇の中で収容所に搬送し、急手術を施した。
第四、搜索救護第三期(自二月十日至二月十八日)
歩兵第五聯隊ノ兵員ハ搜索救護ノ初ヨリ營苦ヲ忍ビ只身ノ疲勞漸ク其極ニ達シ二至リ
代ノ不能已ムヲ得ズニ至リ
而シテ身體自ラ疲勞シ三十余名ノ發生ヲ見ルニ至リ又
戰友ノ不幸ヲ搜索救濟スルノ目的ヲ以テ搜索救護ノ初ヨリ身ノ疲勞ヲ忍ビ只營
次ニ増進セル步兵第五聯隊ノ兵員ハ前期末ニ於テ漸ク其搜索ヲ第三十一聯隊ニ交代セシメ
セシメ第五聯隊ノ健康者ヲ以テ後方遣傳哨ヲ充テ前方搜索隊トシ
三日天候稍好ニシテ鳴澤東方斜面及ビ谷中ニ搜索隊各自其區域ヲ捜索シ
此日搜索隊ハ多數ノ死體ヲ發見セリ
四十六名ニ至ル工兵大尉一柳ヲ配シ同中尉桑原ヲ副タリ
約三十名ナホ行衛不明トナリ搜索ヲ續行ス
此日從武官宮本砲兵大佐勅旨ヲ奉ジテ來營シ優渥ナル慰問アリ
田代附近ヲ搜索スルニ太田中佐友安旅團長山之内縣令等
第四 捜索救護第三期(二月十日〜二月十八日)
部隊の疲弊と交代:
歩兵第五聯隊の兵員は、捜索救護の初めから営苦(野営の苦しみ)を忍び、身体の疲労が漸くその極に達した。三十余名の患者が発生し、交代が不可避となった。
戦友の不幸を救済するという目的のために身の疲労を忍んできたが、前期末に至り漸く捜索を第三十一聯隊に交代させた。第五聯隊の健康者をもって後方伝令哨に充て、前方は第三十一聯隊の捜索隊が担当した。
捜索の進展:
天候がやや好転した日、鳴澤東方斜面及び谷中において捜索隊が各自の区域を捜索し、多数の死体を発見した。累計四十六名に達した。
工兵大尉・一柳を配し、同中尉・桑原を副とした。なお約三十名が行方不明のまま捜索を続行した。
皇室からの慰問:
この日、從武官・宮本砲兵大佐が勅旨を奉じて来営し、優渥なる(手厚い)慰問があった。
田代付近の捜索には太田中佐、友安旅団長、山之内県令らが関与した。
📍 第三期の主な成果と推移
・第五聯隊から第三十一聯隊への捜索主力の交代
・遺体発見累計:46名に到達
・行方不明:なお約30名
・患者発生:捜索隊員から30名以上
・宮本砲兵大佐が勅旨を奉じて来営
・工兵部隊(一柳大尉・桑原中尉)の捜索参加
・田代付近への捜索拡大
七日東宮武官清水谷歩兵大尉來リ東宮殿下ノ令ヲ奉ジテ來營優渥ナル慰問アリ
五日ニ至リ天候稍靜ナリシヲ以テ搜索ヲ繼續シ死體一個ヲ發見セリ午後三時使用セシ各區域ノ搜索
六日天皇陛下ハ内海軍內務大臣ヲ御前ニ召サレ遭難地ノ状況ヲ觀察セシメ御下命アリ
内務書記官有松ヲ遭難地ニ派遣シ聖意ヲ傳達セシメタリ
八日連日溪谷搜索ヲ目的トシテ午前十時各小隊ヲ展開ス
此日立見師團長及ビ東宮武官清水谷歩兵大尉相次ギ登山シ遭難地ニ臨ミ搜索ノ實況ヲ視察ス
高島臨時哨所ヲ合併シ逐次歸營休養セシム
各搜索隊ノ疲勞特ニ甚シキヲ以テ該隊ヲ逐次歸營休養セシメタリ
皇室・政府の関与:
2月5日天候がやや静穏となり、捜索を継続して死体一個を発見した。
2月6日天皇陛下は内海軍内務大臣を御前に召され、遭難地の状況を観察せしめ御下命があった。内務書記官・有松を遭難地に派遣し、聖意を伝達させた。
2月7日東宮武官・清水谷歩兵大尉が東宮殿下(皇太子、のちの大正天皇)の令を奉じて来営。優渥なる慰問があった。
2月8日連日の渓谷捜索を目的として午前十時より各小隊を展開。立見師団長及び東宮武官・清水谷歩兵大尉が相次いで登山し、遭難地に臨んで捜索の実況を視察した。
各捜索隊の疲労が特に甚だしかったため、高島臨時哨所を合併し、各隊を逐次帰営・休養させた。
此期間ニ於ケル天候ハ概シテ不良ニシテ搜索隊ヲ困難ノ域ニ陷レタリ
日午後ヨリ容易ナラズ二月二日及三日ハ搜索隊ヲ困難ノ域ニ陷レ給養交通ニ憂慮シタリ
温度ハ氷点下十五度ニ達シ搜索隊ヲ乾坤暗澹ニ至ラシメタリ
曾ニ之ヲ許サズ風紛雪噴合ヲ飛バシ卒ヲ飛散セシメ休養ヲ許サズ
卒ノ修繕能ハズ忙殺サレ動作ハ困難ヲ極メタリ其状態ハ名状スベカラザルナリ
側壁蓋ヲ吹キ飛バシ積雪哨合内ニ容赦ナク押シ寄セタリ
幕ニ於テ夜半吹雪ノ猛威ニ陰鬱ナル最モ壇無キ苦シミヲ味ハヒ
晝夜奔走安眠ヲ得ズ風雪ヲ防ギ側壁蓋ヲ飛バサレ積雪ヲ排除シ
等到底安眠ヲ得ザリキ最モ多ク壇無キ戰友ノ死ヲ思ヒ
唯戰友ヲ思フ熱誠志氣ヲ以テ業務ヲ繼續セリ
疲勞日ニ加ハリ業務ヲ繼續スル能ハザルニ至リ搜索隊編成ヲ交代セリ
天候と捜索の困難(第二期・第三期共通の記録):
この期間の天候は概して不良で、捜索隊を困難の域に陥れた。気温は氷点下十五度に達し、天地(乾坤)が暗澹とするような状況であった。給養・交通にも憂慮が生じた。
哨所での生活:
風紛(粉雪)が噴き上がり、兵卒を飛散させ、休養すら許されなかった。哨所の修繕に忙殺され、兵卒の動作は凍傷のため困難を極め、その状態は名状しがたいものであった。
吹雪は哨所の側壁と蓋(屋根)を吹き飛ばし、積雪が哨合(哨所)内に容赦なく押し寄せた。昼夜を問わず奔走し、風雪を防ぎ、側壁と蓋を飛ばされては積雪を排除し、到底安眠を得ることができなかった。
捜索隊員の心理:
夜半の吹雪の中、最も陰鬱で堪え難い苦しみを味わった。しかし亡き戦友の死を思い、唯その熱誠と志気をもって業務を継続した。だが疲労は日に日に加わり、遂に業務の継続が困難となり、捜索隊の編成交代に至った。
搜索隊本部 田茂木野(第三期編成)
| 哨所・配置 | 指揮官 | 備考 |
|---|---|---|
| 搜索隊本部 | 少佐 佐々木村宣明、軍医 東山下正之進 | 田茂木野 |
| 搜索大隊本部 | 少尉 毛利風 | |
| 第九哨所 全 | 中尉 安部忠相雄 | 衛生部 |
| 第十一哨所 全 | 中尉 佐藤彦雄 | 傳令哨 |
| 第十二哨所 全 | 中尉 松井義直 | 電信隊 |
| 第十三哨所 全 | 中尉 下田正直 | |
| 第十四哨所 全 | 中尉 鹿島彦雄 | 遠路 |
| 第十五哨所 全 | 中尉 鎌倉石一 | 運輸隊 |
| 鳴澤哨所(第一捜索隊) | 大尉 鑑倉義夫、中尉 松平仁識 | |
| 高島哨所(第二捜索隊) | 大尉 高島政三郎、中尉 相澤正康 | |
| 本多哨所(第三捜索隊) | 大尉 本多音義夫 | |
| 高橋哨所(第四捜索隊) | 大尉 高橋榮稿 |
第九哨所 全(第三期)
| 配置 | 指揮官 |
|---|---|
| 搜索大隊本部 | 少尉 毛利風 |
| 患者收容所 | 大尉 柏村茂定郎 |
| 工兵小隊 | 少軍醫 内野秀三郎 |
| 電信隊 | 中尉 川崎赤彦 |
| 運輸隊 | 中尉 鎌倉石一 |
| 死體收容所 | 大尉 三田清治 |
| 貨物集積所 | 少尉 山本勝三郎 |
第三期の捜索隊組織:
第三期では第三十一聯隊への交代が行われ、前線4個捜索隊(鳴澤・高島・本多・高橋)と後方支援組織(衛生部・電信隊・運輸隊等)の体系的な配置がなされた。
前線捜索隊の配置:
| 哨所 | 捜索隊 | 指揮官 | 捜索区域 |
|---|---|---|---|
| 鳴澤哨所 | 第一捜索隊 | 大尉 鑑倉義夫 | 鳴澤凹地周辺 |
| 高島哨所 | 第二捜索隊 | 大尉 高島政三郎 | 鳴澤東方 |
| 本多哨所 | 第三捜索隊 | 大尉 本多音義夫 | 駒込川方面 |
| 高橋哨所 | 第四捜索隊 | 大尉 高橋榮稿 | 大瀧平方面 |
後方支援組織:
第九哨所を拠点として患者収容所・死体収容所・貨物集積所・電信隊・運輸隊が配置され、前線捜索隊を後方から支えた。田茂木野の搜索隊本部が全体を統括した。
第一期以來採用セル竹皮包ヲ以テ分配スル能ハザル且ツ炊飯セシ飯モ急チ酷烈ナル寒氣ノ
爲メ甚ダシキ困難ヲ感ジタリ且ツ炊飯ノ飯盒ニ於テモ
氷結シタリ分配スル能ハザルヲ以テ竹皮包ヲ以テ現品ヲ給與シタリ
天候能ハザリキ
第一期以來採用セル竹皮包ハ其過少調理ノ結果惡シク且ツ現品ニ不足ヲ生ジタリ又
各自飯盒ヲ以テ調理スルヲ量ヲ少クシタルニ充分ナル勞働セル兵卒ニ滿足ヲ與ヘタリ
〔捜索の詳細〕
以テ搜索隊ハ專心其業務ニ從事シ荷モ天候ノ許ス限リ搜索ヲ連日續ケタリ
田代方面ヲ涉リ深谷石別ニ小隊ヲ派遣シ横内川渓谷中ニ於テモ捜索ヲ實施セリ
搜索隊ハ日々死體ヲ發見シ其數漸次增加セリ然レドモ駒込川及其附近ノ險難地域ニハ未ダ踏入ラザル所アリ
此日鳴澤深谷ノ純然タル兵站指揮下ニ在リ搜索隊長ハ平岡少佐ナリ
十日搜索隊ハ鳴澤東方及ビ其谷中ニ於テ死體多數ヲ發見シ其搜索ヲ繼續セリ
十四日搜索隊ハ茂木野内務書記官清野原入右衛門ノ風雪ヲ冒シテ力ヲ盡シ搜索セリ
十日ニ至リ茂木野亦至ル第八哨所ノ哨合ヲ逐次撤收セリ
駒込川ニ治ヒ下流約五百米突ノ地點ハ最モ死體ヲ多ク發見セル所ナリ
給養の課題(続き):
第一期以来採用していた竹皮包みの飯は、酷烈な寒気のため急速に氷結し、分配すら困難であった。飯盒での炊飯も凍結し、味が著しく変わった。竹皮包みは過少で調理の結果も悪く、現品(実物支給)にも不足を生じた。
各自が飯盒で調理する方式に改めたが、量を少なくせざるを得ない場合もあった。しかし兵卒には一定の満足を与えることができた。
捜索の詳細記録:
捜索隊は専心その業務に従事し、天候の許す限り連日捜索を続けた。
2月10日鳴澤東方及びその谷中において多数の死体を発見し、捜索を継続した。
2月14日風雪を冒して力を尽くし捜索を実施。内務書記官・清野原入右衛門も現地を視察した。
田代方面にも小隊を派遣し、横内川渓谷中においても捜索を実施した。深い谷に別途小隊を編成して送り込んだ。
最多発見地点:
駒込川に沿って下流約五百メートルの地点が、最も多く死体を発見した場所であった。哨所の哨合を逐次撤収していった。
第五、搜索救護第四期(自二月十八日至三月七日)
遭難後搜索ヲ開始シ既ニ三週間ヲ經過シ搜索ノ將來ニ及ボス影響ヲ
思惟シ事業大ニ進捗シ少カラザル效果ヲ收メタルモ
弘前第三十一聯隊ヲ以テ搜索セル前期間ノ成果ヲ踏マヘ
第五聯隊ノ獨力ヲ以テ搜索スルニ決シ其計畫ヲ立テ
搜索隊ノ交代了シ歩兵ノ全部及ビ工兵ノ大部ハ
留シ其業務ニ搜索隊ハ從事セリ唯搜索隊長ト交代ヲ要シ
十三日三十五ヶ六ノ三日間ニ於ケル天候ハ概ネ不良ニシテ搜索隊ヲ困難ノ域ニ陷レ
搜索ノ打勝之ヲ阻ンダリ十七日ニ搜索ヲ再開
斯ノ如クシテ十六日先ヅ上田高橋兩大尉以下百六十九名ヲ以テ
第三十一聯隊柏村大尉越ラ以下百六十七名ト交代セシメ
歩兵ノ全部及ビ工兵第八聯隊
後藤弘大尉以下三百七十二名ト交代セリ
當期間ニ於ケル天候ハ概ネ不良ニシテ終日搜索ニ從事シ得タル日ハ僅カニ
聯隊後藤弘大尉以下三百九名ヲ以テ交代セリ
第五 捜索救護第四期(二月十八日〜三月七日)
遭難後、捜索を開始してすでに三週間が経過した。事業は大いに進捗し、少なからぬ成果を収めた。しかし捜索の将来に及ぼす影響を思惟する必要があった。
弘前第三十一聯隊による前期間の成果を踏まえ、以後は第五聯隊の独力をもって捜索することを決し、計画を立てた。
大規模な部隊交代:
2月16日上田・高橋両大尉以下百六十九名をもって、第三十一聯隊の柏村大尉以下百六十七名と交代。
後藤弘大尉以下三百七十二名と交代し、歩兵の全部及び工兵第八聯隊の大部が捜索業務から離れた。
天候の困難:
当期間の天候も概ね不良で、終日捜索に従事し得た日は僅かであった。十三日前後の三日間は特に天候が悪化し、捜索を阻んだ。
第六、搜索救護實施第五期(自三月七日至三月二十七日)
此期ニ至ルヤ搜索ノ業務ハ益々難ヲ加ヘ且ツ斷崖並ニ有望ノ地點ハ概ネ搜索ヲ終ヘ
狭小且ツ容易ニ接近スル能ハザル所ノミ殘レリ從來大衆ヲ用ヒ
探索セザル所ナク搜索隊ノ踏渉スルコト能ハザル險地ノミ
殘レリ搜索ノ業務ハ又新兵教育モ始マリ
弘前後藤大尉以下三百九名ヲ以テ交代シ第三十一聯隊柏村大尉ニ引繼ギ
搜索業務ハ全ク古兵ヲ使用シ計畫ヲ立テ指揮ヲ司ラシメタリ
橋大尉以下百六十七名ヲ以テ搜索隊ヲ編成シ
搜索隊ノ踏渉シ得タル地域ハ概ネ搜索ヲ終ヘリ
駒込川及ビ其附近有望ナル險難地域搜索ノ爲メ
人夫十一名ヲ徴シ之ニ軍曹及ビ兵卒各一名ヲ附シ各自獨立シテ
田代方向ヘ派遣小隊ヲ出シ田茂木野以北ヲ搜索セリ別ニ小隊ヲ編成シ横
内川渓谷中ニ於テモ搜索ヲ實施セリ特ニ鎌倉少尉ニ命ジ横内川渓谷ノ搜索ヲ擔當セシム
發見ヲ繼續シ連日天候ノ許ス限リ搜索ヲ續行セリ
二十日岡澤侍從武官長ヨリ大橋中尉死體ニ付卿旨アリ業務ニ盡シ
二十二日ニ至リ第七哨所ノ哨合ヲ移轉シ第八哨所ノ哨合ハ撤收ヲ完成セリ
二十三日特別搜索隊ハ金堀澤附近ヨリ南方ニ小隊ヲ派遣シ死體ヲ搜索セリ
二十五日現場調査ヲ了リ二十四日聯隊長ノ指示ニ依リ二十五日早朝死體ヲ發見セリ
此日ニ至リ田茂木野ノ第八哨所ヲ完全ニ撤收セリ
搜索隊長以下必要人員ハ帰營セシメ
此日田茂木野ノ嶋澤深谷ノ搜索ヲ中止シ
二十七日河川搜索隊ハ青岩以南山口少佐一行ノ生存セシ地點ヲ反復搜索シ
第七哨所ノ三名歸還セリ
二十八日疾風雪各隊ハ搜索ヲ中止シ第七哨所内外套等ヲ發見シ
三月一日ニハ大風雪ニシテ搜索隊ノ全部ガ活動ヲ停止セリ
四日中隊伍長宮原藤兵衛ノ死體一等卒長田正良ノ死體五百米突ノ
其修繕電線ノ切斷等ニ忙殺サレ一般安全ナル搜索建築手ノ如キ状況ナリ
此日電營内鳴澤問司令部出發ヲ撤去シ津川聯隊長ヘ報告セリ
搜索ヲ重ネテ此期間ニ數多ノ勞力ノ要ヲ費シタリ
六日ニ至リ高橋大尉參謀長林步兵大佐ヲ参謀ニ加ヘ搜索實況ヲ視察セリ
七日ニ至リ搜索隊長ハ第二露營地第五中隊上等兵以下ノ死體ヲ發見ニ成功セリ
第六 捜索救護実施第五期(三月七日〜三月二十七日)
捜索の変容:
この期に至り、捜索の性質が大きく変化した。有望な地点は概ね捜索を終え、残されたのは断崖や狭小で容易に接近できない険地のみであった。大人数を投入する段階は過ぎ、精密な踏査が必要となった。また新兵教育も始まる時期であり、捜索と教育訓練の両立が課題となった。
部隊編成の変更:
弘前の後藤大尉以下三百九名をもって交代。捜索業務は全て古兵(経験兵)を使用した。高橋大尉以下百六十七名で捜索隊を編成した。
険難地域への捜索:
駒込川及びその付近の有望な険難地域の捜索のため、人夫十一名を徴し、軍曹及び兵卒各一名を付して各自独立的に行動させた。田代方向へ派遣小隊を出し、田茂木野以北の捜索も実施した。別に小隊を編成し、特に鎌倉少尉に横内川渓谷の捜索を命じた。
第五期の主要な出来事:
2月20日岡澤侍従武官長より大橋中尉の死体に関する勅旨あり。
2月22日第七哨所の哨合を移転し、第八哨所の哨合の撤収を完成した。
2月23日特別捜索隊が金堀澤附近より南方に小隊を派遣し、死体を捜索した。
2月25日早朝、死体を発見。田茂木野の第八哨所を完全撤収。
2月27日河川捜索隊が青岩以南で山口少佐一行の生存していた地点を反復捜索した。
2月28日疾風雪のため各隊は捜索を中止。第七哨所内で外套等を発見。
3月1日大風雪にて捜索隊の全部が活動を停止。
3月4日中隊伍長・宮原藤兵衛および一等卒・長田正良の死体を五百米突(メートル)の地点で発見。電線の切断等に忙殺された。
3月6日高橋大尉が参謀長・林歩兵大佐とともに捜索実況を視察。
3月7日捜索隊長が第二露営地(第五中隊の上等兵以下)の死体を発見することに成功。
搜索救護實施第五期(續)
此期ニ至ルヤ搜索ノ盆ヲ盡シ又一方ニハ既ニ前期ニ於テ搜索隊ノ業務ハ益々遭難地ニ接近シ
搜索セサル所ナク搜索ノ踏渉シ得タル地域ハ概ネ搜索ヲ終ヘリ
以ハ既ニ開始スル極メテ必要ナル新兵教育モ始マリ大隊各中隊ト交代シテ
搜索隊ヲ其計畫ニ從ヒ交代了シタリ其交代月日ハ左ノ表ノ如シ
| 登山月日 | 歸營日 | 中隊號 | 將 | 搜索隊長 | 上番中隊(將校以下) | 下番中隊(將校以下) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 二月廿六日 | 二月廿四日 | 第一中隊 | 中大尉 鈴木幸臣〔上田幸臣カ〕 | |||
| 二月廿八日 | 二月廿六日 | 第三中隊 | 少尉 嘲澤恒慈 | |||
| 三月二日 | 二月廿八日 | 第四中隊 | 大尉 馬膝勝 | |||
| 二月廿五日 | 三月七日 | 第五中隊 | 大尉 伊藤清治 | |||
| 三月二日 | 第六中隊 | 少尉 本多音義 |
搜索救護實施第六期(自三月二十七日)
此期ニ至レバ搜索ノ盆ヲ盡クシ又一方ニ搜索所ナク易ニ接近スル可ラザル隘路ノミ殘レリ
搜索容易ナル所ハ唯斷崖並ニ有望ノ地點ハ概ネ搜索ヲ終ヘ以後ハ駒込河谷ノ一部ノ搜索ヲ
殘スノミトナレリ之レガ爲メ搜索ノ規模ヲ縮小シ從來ノ搜索隊悉ク歸營セシメ
大尉高橋榮稿以下若干名ヲ残置シ捜索業務ヲ續行セシメタリ
第六 捜索救護実施第六期(三月二十七日〜)
第五期の総括と第六期への移行:
第五期までに捜索しうる地域は概ね捜索を終え、残されたのは容易に接近できない隘路と断崖のみとなった。新兵教育の開始に伴い、大隊の各中隊が交代で捜索にあたる体制に移行した。交代の月日は上表の通りである。
第六期の体制:
捜索の規模を縮小し、従来の捜索隊の大部分を帰営させた。大尉 高橋榮稿以下若干名を残置し、駒込川渓谷の一部の捜索業務を続行させた。
以後は雪解けに伴って新たに露出する遺体の発見を待つ段階に入った。
捜索救護活動の全体像
| 期 | 期間 | 主な特徴 | 参加規模 |
|---|---|---|---|
| 第一期 | 1月28日〜1月31日 | 初期捜索、哨所設置、生存者発見(鳴澤炭小屋) | 約80名 |
| 第二期 | 2月1日〜2月9日 | 31聯隊増援、本格展開、給養体制整備 | 約240名 |
| 第三期 | 2月10日〜2月18日 | 皇室視察、46名遺体発見、部隊交代 | 約200名 |
| 第四期 | 2月18日〜3月7日 | 独力捜索移行、大規模部隊交代 | 約170名 |
| 第五期 | 3月7日〜3月27日 | 険難地域精密捜索、人夫徴用 | 縮小編成 |
| 第六期 | 3月27日〜 | 雪解けに伴う最終捜索 | 高橋大尉以下若干名 |
捜索の過程で確認された主な事実:
・遺体は鳴澤凹地〜駒込川渓谷〜大瀧平にかけて広範囲に散在
・駒込川下流約五百メートルの地点が最多の遺体発見場所
・積雪3〜5メートルの中から遺体を発掘する必要があった
・捜索隊自身も凍傷・疲労で三十名以上の患者を出した
・天候悪化(2月2-3日、2月28日、3月1日等)で捜索中止が複数回
・天皇の勅旨・東宮武官派遣など皇室が直接関与
・弘前第31聯隊が増援を送り合同捜索を実施
・田茂木野を前進基地とし、最大15か所の哨所を展開
・田茂木野を境界線として南北で天候が激変する地形特性
・給養の確保(特に炊飯した飯の凍結防止・竹皮包み)が重大課題
・人夫(民間人)11名を徴用して険難地域の捜索に充当
・佐藤小隊が元湯で村松文藏伍長を発見
v2.0 主要修正点(旧版からの変更):
・第八哨所人員配置表を追加
・「他ノ小屋」→「炭小屋」に修正(生存者発見場所)
・「阿卯吉」→「阿部卯吉」に修正(一等卒の姓名)
・副食物の誤読修正(焼き鶴→焼鶏、富子→蕪子、南鑑→南蛮漬、盤蔵→壜藏)
・第二期・第三期の編成表を大幅に補充
・佐藤小隊の元湯到達・村松文藏伍長発見の詳細を追加
・第五期の日付別詳細記録を大幅に追加(金堀澤・青岩・横内川渓谷等の地名)
・駒込川下流約五百メートルの最多遺体発見地点を追加
・第六期への移行と高橋大尉の残置を明記
・「壇無き」の誤解を修正(「堪え難き」の意)