十九世紀末、帝政ロシアは「南下政策」のもと、凍らない港——不凍港を求めて極東への進出を加速させていた。
一方、明治維新から三十余年で近代化を遂げた日本もまた、大陸への影響力確保を国家的課題としていた。
両国の利害が激突したのは、満州と朝鮮半島だった。三国干渉による屈辱(一八九五年)から、旅順租借(一八九八年)、満州占領(一九〇〇年)へと至るロシアの膨張は、日本に「このまま手をこまねいてはいられない」という焦燥を植え付けた。
そして明治三十五年一月——日英同盟の締結によって外交的包囲を完成させた日本。その冬、第五連隊は対露冬季作戦の訓練として、八甲田山系への雪中行軍を命じられた。