第二章(続)行軍實施及遭難ノ景況
鳴澤凹地ヲ經馬立場ニ至ル決心ヲ以テ行進セシ一隊ハ約一時間ノ後
路ヲ始メ同行進ヲ其方向ヲムシタルヲ知リ再ビ露營地ニ歸ラントシ且ッ小流ニ出會シ露營地ニ達スル能ハサルニ至レリ
長ハ方向ヲ轉同行進ヲ始メタリ方向ヲムシタルヲ知リ再ビ露營地前進スル目的ニ至ル
ナル懸崖ヲ知ルヤト不幸駒込川ノ本流ニ遭遇シ露營地ニ達スルザル露營地ニ歸ラントスル能ハサルニ至レリ更ニ遠退シ路ヲ東北ニ轉ジ佐藤特務曹以テ
テ轉回ノ方向ヲ知リタルヲ知リ再ビ露營地ニ歸ラントシ其方向ヲムシタルヲ知リ
鳴澤凹地ニ達スルヤ又暗クシ其ノ支流ヲ渉リ進路ヲ索メタリ胸ヲ沒スル
時日又暗クシ通路ハ分秒ヲ出スナリ
ハ鬚險又鳴澤凹地ニ出テ其ノ支流ヲ渉リ更ニ積雪ノ路ニ似タリ痕跡ヲ失シ此ニ於テ左方ヲ換セリ
面ヲ攀登セリ此間步々階段ヲ踏開セシ以テ其行進最モ緩漫一時間
約五六百米突ヲ過ギズ氣又凄烈シ水點下二十五度ニ降リ高地ニ達スルヤ風雪狂暴ヲ逞フシ寒氣又至テ四周瞭暗ニシテ十米突
正午頃行進路高地上ノ小丘卑ニ全力ヲ注ケ鳴澤凹地ニ出テ大隊長山口少佐及ヒ倉石成兩大尉ノ觀スルヲ能ハス是ニ於テ四周瞭暗ニシテ十米突
前方ノ物体モ始メント之ヲ二十五度ニ降リ高地ニ達スルヤ風雪狂暴ヲ逞フシ寒
アリシャノ體モ始メ漸ク凍著シ顏面多ハ暗紅色タリ眠ルニ至レリ漸ク悲慘ノ景況ヲ羅列スルニ呈シ手足ハ漸ク凍傷ナシ
肩毛氷柱トナリ變シ顏面多ハ暗紅色ヲ呈シ手足ハ漸ク凍傷ナシ外套ノ全容ニ霜ヲ帶ビ睡眠セントスル
兩手ヲ柱トシキ鬢髮ニ變シ髪モ凍著シ顏面多ハ暗紅色タリ手足ハ漸ク凍傷者ハ増加シ叫聲出ス
倒シタルヲ凍傷患者ハ増加シ叫聲出スルニ至リ漸ク悲慘ノ景況ヲ呈シ前後其叙顧ル多クハリ此状況ヲ
刻一刻ト凍傷患者ハ増加シ叫聲出スルニ至リ悲慘ノ景況ヲ羅列如ク當時伊藤中尉等ハ最後尾ニ餘來
トモスル能力盡シ之ヲ護リ依ラ此状況ヲ隊長ニ報告セシト欲シ又如何
第二日(一月二十四日)続き ― 彷徨
鳴澤凹地を経て馬立場に至る決意で行進した一隊は、約一時間後に方向を誤ったことに気づき、再び露営地に戻ろうとした。しかし小流に遭遇し、露営地に到達することができなくなった。
方向を転じて行進を再開したが、不幸にも駒込川の本流に遭遇し、さらに遠退いてしまった。東北方向に路を転じ、佐藤特務曹をもって偵察させた。
鳴澤凹地に達すると、またも暗くなり、支流を渡って進路を探った。胸まで没するほどの積雪であった。通路は一歩一歩が困難を極めた。
さらに積雪の斜面を攀じ登った。この間、一歩一歩階段状に雪を踏み固めながら進んだため、行進は極めて緩慢で、一時間に約五、六百メートルを進むに過ぎなかった。
正午頃行進路の高地上に達したが、気温は氷点下25度に降下し、風雪は狂暴を極め、四周は暗澹として10メートル先の物体すら見えない状態であった。
凍傷の蔓延:
兵士たちの体は次第に凍りつき、眉毛は氷柱と化し、鬢髪も凍着した。顔面の多くは暗紅色を呈し、手足は次第に凍傷に冒された。外套の全面に霜が付着し、睡魔に襲われる者が続出した。
刻一刻と凍傷患者は増加し、叫び声を上げる者が出るに至って、悲惨な状況を呈した。伊藤中尉等は最後尾にあって、倒れる者を護り、力を尽くしたが、この状況を隊長に報告しようにも困難であった。
📍 第二日(1月24日)午前の状況
・午前2時半:露営地出発(帰営決定)
・方向を誤り鳴澤凹地周辺を彷徨
・駒込川本流に遭遇し、さらに迷走
・正午頃:気温 −25℃、視界10m以下
・凍傷患者急増、叫声を上げる者続出
・行進速度:1時間に約500〜600m
隊長ノ三回面モ途ニ目的ヲ達スル能ハス是ニ於テ中尉自ラ縦隊ヲ
安全ナルヲ位置ヲ收容スルニ至ラン情況由ナシカスル患者ノ收容ナシ凹地ニ至リモ風雪
進撃ヲ貫キ隊長ノ下ニ至リ情況ヲ報告スルニ至ラントスル能ハス是ニ中尉自ラ
涙ヲ呑ンデ患者ヲ收容スルニ至リ前進ス隊長ノ下ニ至リ情況ヲ報告ス
上官ヲ自ラ抱護シタヲ終ニ其身ヲ致シ
興津大尉中野中尉水野中尉等ハ凍傷又倒レ
午後四時頃ハ水野中隊ヲ一隊ニシテアリシ從卒共ニ不幸ノ極ニ謂フベキ
午後四時頃停止シ水野中尉以下卒共ニ落伍者ヲ收容ス
キ終ニ其身ヲ致シ水野中尉以下ヲ倒者ノ收容ニ趨ケ
倉石大尉等ハ凍傷又倒レ興津大尉中野中尉水野中尉等ハ凍傷又倒レ下官ヲ自ラ
五時頃隊ノ先頭伊藤中尉ハ狭小ナル地ニ至リ
壮者ヲ遺キ水野中尉以下者倒者ノ收容ニ趣ケ五時頃隊ノ先頭伊藤中尉ハ
等ハ壯地ニ四回面ハ繼續來集シ三四百米突ニ露營スルニ良好ノ地點ヒ石
倉石大尉等亦患者ヲ水野中尉以下者倒者ヲ趣ケ既ニ全
收容ズノ再ビ石倉大尉等亦患者モ患者ヲ發見スル能
此日行進ノ目的カラ達セズナリ再ビ田代ニ前進スルノ目的ヲ達シ得ヌモ給養ノ疑ハシ
一、田茂木野方向ニ達シ得タルモ救援隊ノ疑ハシ
一、院ニ方向ヲ誤リタルモノカ達セシモ前進ヲ得ンモ給養ノ
左ノ決議ヲナセリ
以上ノ情況ヲシテ終夜蘇生ヲ計レリ
午後十時頃山口少佐ハ將校ノ意見ヲ裁シ
午後の惨状:
隊長に状況を報告しようと三度試みたが、いずれも目的を達することができなかった。中尉自ら縦隊を突き進み、ようやく隊長のもとに至って状況を報告した。
安全な場所に患者を収容しようとしたが、風雪のため困難を極めた。涙を呑んで患者を置いていかざるを得ない場面もあった。
午後4時頃興津大尉、中野中尉、水野中尉等が凍傷により相次いで倒れた。上官を自ら抱き護ったが、ついにその身も力尽きた。水野中尉以下の従卒ともに、不幸の極みというべき状態であった。
午後5時頃伊藤中尉が先頭にあって、比較的良好な地点を発見した。三〜四百メートル先の地点に再び露営することを決定し、倉石大尉等もまた患者の収容に走った。しかし既に多くの患者を発見・収容することすら困難な状態であった。
決議:
午後10時頃山口少佐は将校の意見を聴取し、以下の決議を行った。
一、田茂木野方向に到達できたとしても、救援隊との合流は疑わしい。
一、方向を誤った以上、田代への前進も困難である。
一、給養(食料補給)の見込みも立たない。
以上の状況から、終夜をかけて蘇生(回復)を計ることとした。
以テ各小隊ハ相密接團繞シ僅ニ甚雪ヲ踏ミ堅メ以テ其休憩地ヲ作リ
志或ハ足踏ヲシ或ハ手指ヲ摩擦シ或ハ體温ヲ保チ以テ凍傷ヲ防カンメタリ睡氣ヲ催ス者ハ高時シテ其變
醒氣圓レリ
此夜風雪寒威書間ニ異ナス燒ク二三食ノ糧ニ一個ノ燎火ナシ僅カニ各
餅ハ氷結シテ石ノ如ク糧ニ一個ノ罐詰及一個ノ牛食ナシ飯ハ酒ヲ加ヘタル水鹽湯麥湯ヲ入レタルモノ然カニ各
自携帶セル二三食ノ糧ハ僅カニ各人ニ然レバ氷結シテ石ノ如ク唯一ノ糧詰ハ一個ノ牛罐詰及一個ノ
サレバ身神共ニ苦痛ヲ覺シロスヲ以テ喝食セシクモ或ハ他ノ人ノミ助ヲ得タル
ハ身神共ニ至キ觀又異情ヲ呈シテ力モ又異常ナシトセナリ
午後九時頃興津大尉又倒レ人事不省ニ至キ觀又異情ヲ呈シ
物ノ踊レ共ニ苦痛ヲ覺シ至キ感事ナリ或又異情ヲ呈シテ停止スル者多ク死者二十有余ヲ
出シ午後九時頃興津大尉又倒レ人事不省トナリ部下鈴木少尉ヲ
山田特務曹長 石三歲等大ヲ
倒スル者步兵多ク死者ハ稀ナモノ一大士卒ハ
戰友者二十有余ヲ喝食セシクモハ他人ノミ助ヲ得ル大士卒
第二露営の状況:
各小隊は互いに密接して円陣を組み、わずかに雪を踏み固めて休憩地を作った。凍傷を防ぐため、ある者は足踏みをし、ある者は手指を摩擦し、体温の保持に努めた。睡魔に襲われる者には声をかけて覚醒させた。
食料の状況:
この夜も風雪・寒威は昼間と異ならなかった。焚き火は一つもなく、各自が携帯していた二、三食分の糧食はわずかであった。餅は氷結して石のようになり、牛缶詰が一個あるのみであった。飯に酒を加えた水や塩湯・麦湯を入れたものも、すべて凍結していた。身も心も苦痛を覚え、噛み砕こうにも歯が立たなかった。
死者の発生:
午後9時頃興津大尉がまた倒れ、人事不省(意識不明)に陥った。異常な様相を呈する者が続出し、停止する者が多くなった。死者は二十余名に達した。
部下の鈴木少尉、山田特務曹長、石三蔵等も倒れた。戦友の助けを得ようにも、もはや他者を助ける余力のある者はほとんどいなかった。
掃晨ナリト誤解セシモノ、如シ神成大尉ハ各小隊ヲ檢セシ人員ヲ
繋シ三分一ハ凍傷ニ依ル死亡ノ遺ヲ以テ行軍隊ハ一列縱隊ヲ以テ鳴澤鶏谷ヲ下レリ殘雪ノ比較的健全
ナレバ三分一ハ凍傷死亡ノ遺ヲ以テ
行軍隊ハ依然トシテ凍傷ニ向ヒ前進ス鳴澤ノ前日ノ如ク山口少佐倉石神成兩大尉ハ先頭ニ
倒シ一起タシ凍傷ニ陥リ一時間神成大尉鈴木少尉以下十數名ヲ得タリ出發セリ山腹ヲ
午前七時半頃倉石大尉ニ於テ高地上ニ進ミ一時停止シ右折シ高地ニ
午中七時半頃倉石大尉ハ附近ノ患者ヲ數護スル軍醫ノ求メニ應シ
午前九時頃大橋中尉ハ右折シ高地上ニ進ム勇
勇敢ナル渡邊幸之助軍曹高橋他一伍長以下十二名ハ聲ニ應シテ倉石
大尉ノ許ニ集レリ依テ大尉ハ左ノ任務ヲ與ヘタリ
渡邊軍曹ハ五名ヲ此ニ集レリ依テ大尉高橋伍長以下十二名ハ聲ニ應シ
雨嬢余ノ五名ヲ指揮シ前方高地ヲ向ヨリ高橋村方向ヲ確メン田茂木野ハ此高地アテ
ヲ定ム午後方向ヲ考究シ惟ヘクト田茂木野ノ閒ニシテ遲クモ二里ヲ此ニ得タリサルヘシト因テ
ラ田茂木野方向ヲ確メン田茂木野ヘ此高地ア
第三日(明治三十五年一月二十五日)
払暁(夜明け)を待ち、神成大尉は各小隊を検閲して残存人員を確認した。
この時点で、約三分の一が凍傷による死亡者であった。
残る比較的健全な者をもって、行軍隊は一列縦隊で鳴澤の渓谷を下った。山口少佐、倉石・神成両大尉が先頭に立ち、前日と同様に前進を試みた。
午前7時半頃倉石大尉が高地上に進み、一時停止して右折した。付近の患者を数名護送する軍医の求めに応じた。
午前9時頃大橋中尉が右折して高地上に進んだ。
倉石大尉の決断:
勇敢な渡邊幸之助軍曹、高橋伍長以下十二名が応じて倉石大尉のもとに集まった。大尉は以下の任務を与えた。
渡邊軍曹は五名を指揮して前方高地に向かい、高橋村方向(田茂木野方向)を確認すること。田茂木野まではこの高地から遅くとも二里(約8km)と推定された。
📍 第三日(1月25日)の状況
・払暁:神成大尉が残存人員を確認 → 約1/3が死亡
・一列縦隊で鳴澤渓谷を下降
・07:30:倉石大尉、高地上に前進
・09:00:大橋中尉、高地上に前進
・倉石大尉が渡邊軍曹に田茂木野方向の偵察を命令
・この日も風雪・極寒は続く
午前十時頃救援隊ト共ニ軍醫ヲ呼稱スル軍醫ノ救護者アリシ
午前九時頃大橋中尉ハ行軍隊ヲ救護スル者ヲ收容シ渡邊軍曹ハ任務ヲ與ヘタリ午前十時頃起シ
腹痛ヲ起シ共ニ大橋中尉ハ飢餓ニ因リ凍傷着シ先頭ヲ困シテ手指ヲ摩擦シ殊ニ足ヲ凍リ
昂ルヲ倉石大尉ニ於テ先着ッ噸タル倉石大尉ハ氣力散慢トナリテ意識朦朧感ヲ斷カシ吹奏ヲ斷絶吹奏セルモ
モノ倉石大尉ハ部下ノ志氣ヲ鼓舞ス倉石大尉ハ當時先頭ニ倉石大尉ハ氣力消磨シテ意識朦朧トナリ
一因ニ之ヲ發シタル一二噸タルモ之ラ觀スルモ吹聲大ニ喇叭ヲ
一同ノ志氣モ沮喪スルモノ如シ倉石大尉ハ當時兵卒ノ嗟歎聲ノ聞キ
凍著シ先頭十一ニ着力極メリ
興津大尉氣大沈谷ヲ下レリ中見習士官以下数名ヲ大橋中尉永井
午後十一時頃倉石大尉ハ一群ヲ率ヒ人員ヲ達セリ集メ出發將校ノ意見ヲ
午後五時頃ハ衛不明ドナリ倉石大尉ハ今泉見習士官以下十余名ヲ地ニ撰定シ一地ヲ
軍醫等行衞不明トナリ露營地偵察ノ爲メ名ヲ傳合シ倉石大尉ハ
午後五時頃ハ行衞不明ドナリ露營地偵察ノ爲メ一地ヲ撰定シ
露營ノ景況
此夜風雪寒威書間ニ異ナラス此夜ニ至テ既ニ糧食燃料一モ之ヲ求ムルヲ得ズ從テ食慾ヲ失シ常識ヲ
ムニ途ナクシ唯飢渇劇勸ニ及ビ不眠ハ著シタ身ヲ衰弱セシメ
倉石大尉の奮闘と衰弱:
午前10時頃救援隊を呼称する声が聞こえたが、実際には幻聴であった可能性が高い。
倉石大尉は先頭に立って兵卒の士気を鼓舞しようと、喇叭(ラッパ)を吹奏させたが、唇が凍着して十分な音が出なかった。一同の士気も沮喪する状態であった。
大橋中尉は飢餓と凍傷により腹痛を起こし、手指の摩擦も困難になった。倉石大尉自身も気力が消磨して意識が朦朧としてきた。
午前11時頃倉石大尉は一群を率いて渓谷を下り、興津大尉、今泉見習士官以下数名を集めた。
午後5時頃軍医等の行方が不明となった。倉石大尉は露営地偵察のため一地を選定した。
第三露営の状況:
この夜も風雪・寒威は昼間と変わらなかった。この時点ですでに糧食・燃料は一つとして手に入る見込みがなかった。食欲を失い、常識的判断力も衰え、飢渇と疲労、不眠は著しく身体を衰弱させた。
第四日(一月二十六日)
出發當時ノ景況 連日ノ飢渇劇動及不眠ハ著シタ身ヲ衰弱セシメ
顏色憔悴精神荘平トシテ夢幻ノ間ニ在ルモノノ如シ倉石神成兩大尉ハ
伊藤中尉鈴木少尉今泉見習士官佐藤特務曹長等以下十數名ヲ得タリ出發セリ山腹ヲ
掃晨ヲ待テ行進スルニ決セリ
シテ遲クモ三名ヲ得タリ出發セリ方向ヲ考究シ惟クルニ田茂木野ノ
午前一時頃人員ヲ呼集シ檢セシニ約三十名ヲ得タリ
倒シ一起タシ凍傷ニ陷リ前行軍ヲ起シ此日降雪甚シカリシモ風力ハ前日ニ比シ稍弱クナリ
午前七時半頃倉石大尉ニ以下ノ患者ヲ救護シ高地上ニ進ミ一時停止シ右方ニ轉ジ
鳩谷ヲ下リ伸ム一時間ダ神成大尉鈴木少尉以下數名ヲ集メ高地ヲ偵察シ且共ニ方向ヲ定メ
以テ山腹勾配ノ河原東南數部ニ達セリ
午中七時半頃倉石大尉ハ停止シ右方ニ轉ジ高地ニ至リ田茂木野方向ヲ確メン山腹
進路ヲ左ア寢入シ索メ先頭ハ倉石大尉等ハ駒込川ノ渓谷ニ到リ先頭ニ至リ
ル神成大尉ノ附近ニアリト行軍隊ノ大部ハ後方ニ散在
着セシ隨隊青岩ノ附近ニ一群六七名ハ雨ニ懸崖ニ連込ヤ中野中尉ハ三タヒ死所ヲ定ム
ム神成大尉ノ群ハ人合顏少ニ寒少メ微シク嘆死ノ慮ナシ今後ノ處置嘆甚タリ
至リ神成大尉ハ附近ノ一群ノ群ト合セン人員顏色ニ濕レ至ル所三タビ大瀧平附近ニ
至リ神成大尉以下生存者ノ口述ニヨリ
行軍實施ノ景況ハ專ラ倉石大尉以下生存者ノ口述ニヨリ
注意 編纂セシモノナリ
第四日(明治三十五年一月二十六日)
出発時の状況:
連日の飢渇・激動および不眠は著しく身体を衰弱させ、顔色は憔悴し、精神は茫然として夢幻の中にいるかのようであった。
倉石・神成両大尉は伊藤中尉、鈴木少尉、今泉見習士官、佐藤特務曹長等とともに払暁を待って行進を再開することを決した。
午前1時頃人員を呼集して検閲したところ、約三十名を数えるのみであった。
この日は降雪は激しかったが、風力は前日に比べてやや弱まっていた。
午前7時半頃倉石大尉が高地上に進み、右方に転じて田茂木野方向を確認しようとした。山腹の勾配を下り、駒込川の渓谷に到達した。
神成大尉は付近の一群と合流し、青岩付近で一群六、七名が懸崖にたどり着いた。中野中尉は三度にわたり死に場所を定めようとした。
大瀧平付近に至り、神成大尉の一群は人数も少なくなり、微かに生存の望みを保つのみであった。
注意:行軍実施の景況は、もっぱら倉石大尉以下の生存者の口述により編纂されたものである。
📍 第四日(1月26日)の状況
・01:00:人員呼集 → 生存者約30名のみ(出発時210名)
・払暁:行進再開を決定
・07:30:倉石大尉が高地に進み方向確認
・駒込川渓谷に到達、各群が分散
・大瀧平付近まで到達
・この後、救援隊に発見される者が出始める
※ 本章の記述は生存者の口述に基づく
第三章 遭難當時ニ於ケル青森附近ノ氣象
第三章 遭難當時ニ於ケル青森附近ノ氣象
青森測候所ノ測定ニ係ル氣象報告ニ徴シ本年各期間當地ニ於ケル氣温懸動ヲ觀察スル當聯隊第二大隊遭難當時一月二十四日前後ハ氣
天候ノ劇變ヲ觀察スルニ當聯隊第二大隊遭難時ヲ表示セリ即チ約一週間ニ其平均氣温ハ
至同稍々降下シ氷點下十度二分乃至七度ノ間ヲ上下シ然レバ後氣温漸次低下シ二十四日ニ至リ
リ同日夜牛ニ至リ氷點下九度乃至十度ニ降下シ六度四分ヲ示シ然ルニ静穏午後二十カ日ニ至リ
ケ半平均氣温水點下十度二分ノ強風ヲ見ルジ至リ氣温漸次低下シ甘七日ニ至リ
温度ノ氣温低下スルニ從ラレ氣温ハ實ニ二十カ日復セシ
更ニ遭難地氣温ヲ推定スルニ基準トシ之ハ彼ヨリ低キコト三度乃至十度ニシテ
風力平均八度ノ差ヲ以テ遭難地ノ氣温ヲ比較スル故ニ是ハ彼ヨリ低キコト三度乃至十度ニ
以下ノ降下セシコト疑フヲカラ推定スルコト難カラス
一月二十四日ノ天候ニ就テハ少クトモ一丈二尺乃至一丈七八尺ニ至リ所ニ河原附近ハ九尺乃至
薮雪ノ量中ノ森及鳴澤附近ハ八甲田原ノ北麓ニ沿フ遭難地ニ於テ
溫著セシク雜樹林面ヲ拔クコモ能ナシ千五六百尺四面足跡ヲ遭難地ハ八甲田山ノ
一帯寒威夫レ斯ノ如シ第二大隊ノ遭難地ニ於テ
我國當時ノ寒氣夫レ斯ノ如シ
第三章 遭難当時における青森付近の気象
青森測候所の測定に係る気象報告を検証し、本年の各期間における当地の気温変動を観察した。
気温の推移:
聯隊第二大隊が遭難した一月二十四日前後は、約一週間にわたって平均気温が氷点下十度二分ないし七度の間を上下していたが、その後気温は漸次低下した。二十四日に至り同日夜半には氷点下九度ないし十度に降下し、静穏であった午後から一転して強風を見るに至った。気温はさらに低下し、二十七日に至って回復した。
遭難地の気温推定:
遭難地の気温を推定する基準として、青森市内よりも三度ないし十度低いことが判明している。風力と平均八度の差をもって遭難地の気温を比較すると、氷点下二十度以下に降下したことは疑いない。
積雪の状況:
森及び鳴澤付近(八甲田山原の北麓沿い)の積雪は、少なくとも一丈二尺ないし一丈七、八尺(約3.6m〜5.4m)に達した。河原付近では九尺(約2.7m)。雑樹林の樹面を抜くこともできないほどであった。
遭難地は八甲田山の北麓で標高千五、六百尺(約450〜480m)にあり、一帯の寒威はまさにこのようなものであった。
| 年月日 | 天候 | 風雪 | 風向 | 風力 | 平均気温 | 最高 | 最低 | 較差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 明治27年1月24日 | 全雪 | 全雪 | 全西 | 強 | −9.6 | −8.2 | −12.0 | 3.6 |
| 明治30年1月24日 | 全雪 | 全雪 | 全西 | 烈 | −9.1 | −8.6 | −10.2 | 4.3 |
| 明治33年1月24日 | 全雪 | 全雪 | 全西 | 烈 | −9.2 | −8.0 | −12.6 | 2.0 |
| 明治34年2月4日 | 全雪 | 強 | −10.8 | −8.0 | −13.6 | 2.9 | ||
| 明治35年1月24日 | 全雪 | 全強 | −10.2 | −8.2 | −12.6 |
第四章 救援隊派遣
第四章 救援隊派遣
行軍第一日ハ雪微風ニシテ行軍隊ハ多少ノ困難ヲ感シタルモ行軍隊ハ青森附近ニ於ケル多年常ノ天候ナリ
寒氣甚ダ加酷ニシテ漸ジ終日半西風俄ニ且ッ田代ニモ若干ノ食料アルベキヲ以テ當日ハ出發シタルモ消息ヲ得ズ
ツ寒氣之ヲ加ハリ行軍隊ノ食料ハ向一日ヲ支フ
ルノ準備アリ且ツ田代ニモ若干ノ食料アルベキヲ以テ中シテ虞ルベキアルベキ
中シテ虞ルベキ處ナシアルベキ
二十五日ハ降雪依然タリ消息ヲ得ズ行軍隊ハ本日必ズ歸營スベシ前日ニ比シ風雪漸ク衰フ
然シモ風認ニシテ歸營ノ途中何等消息ヲモ得ルベキスラ田茂木野ニ出迎ヒタリ
卒四十名ヲ以テ行軍隊ヲ依然トシテ凍傷者ヲ前日田茂木野ニ出迎ヒタリ
古關中尉ニ好ノ景况ナリ
二十五日午後十二時和田少尉以下下士卒四十名ヲ以テ田茂木野ニ引卒出發シタリ
萬一ヲ慮シ中尉ニ好ノ景況ナリ消息ヲ得ルモ途中何等ノ障害ナキ正午ニ至ルモ風雪
第四章 救援隊派遣
事態の認知:
行軍第一日(一月二十三日)は多少の困難はあったものの、青森付近での通常の冬季天候であった。田代にも若干の食料があるはずであり、当日の段階では特に憂慮すべき状況ではなかった。
1月25日降雪は依然として続き、行軍隊からの消息は得られなかった。行軍隊は本日必ず帰営するはずであったが、前日に比べて風雪がやや衰えたにもかかわらず、何の連絡もなかった。
万一を慮り、和田少尉以下下士卒四十名をもって田茂木野に出迎えの隊を派遣した。また古関中尉も田茂木野方面に向かった。
正午に至っても風雪は止まず、途中何らの情報も得られなかった。
救援隊ノ編成左ノ如シ
隊長 少尉
軍醫 一等軍醫
下士卒 三名 看護手一名(合有)
村上定之助
救援隊ハ武器裝具ヲ携帶セズ防寒被服ヲ纏ヒ精米五升パン三懷壇壹組ヲ携帶セシ
用トシ特ニ救授ヲ携帶セシ
二十六日午前五時四十分救援隊ハ屯營ヲ出發シ幸畑ニ於テ土民二十
名ヲ集メ
救援隊ハ今夜田茂木野ニ一泊シ明朝五時出發無理ニモ田代ニ達セ
シトスル意嚮ナリ
此情報ハ三本木警察分署ヨリ返電ヲ得タリ步兵第三十一聯隊ニ關スル
出發鋪澤ニ於ケフレト面不幸ニシテ此情報ハ步兵第三十一聯隊ノ達シ
連絡中尉ヲ保持セル、由三本木警察分署ヨリ返電ヲ得タリ
二十七日午前五時救援隊ハ田茂木野出發田代ニ向ッテ前途先頭ハ土民隊二十七
名次ハ小官以下ノ兵ニシテ起シ歩々前進セシ前途先頭ハ土民隊ヲ
午前十一時田茂木野出發田代ニ向ッテ前途ヲ
一、救援隊ハ本日午前六時田茂木野土民七名ヲ嚮導トシ此等嚮導ノ集合ニ一時間ヲ徒費シ午前ヨリ
救援隊小官ヲヨリ來タル下士以下十二名ハ報告ニ告ス指揮シ駒込川方高地ヲ向ヨリ高橋村
午前十時頃救援隊トキ大橋中尉ヲ救護シ共ニ軍醫ヲ呼稱スル聲ヲ聞キ
午前十時頃起シ大橋中尉永井軍醫ヲ求メ共ニ救護ス
午前九時頃大橋中尉ハ飢餓因シ凍著シ先頭著シ困手指ヲ摩擦シ以下數名ヲ
腹痛ヲ起シ兵卒ノ通路ヲ開設
午後一時頃風雪寒冷又嚮導ノ兵卒ニ至ル田茂木野ニ達シ田茂木野ニ出迎ヒ
午後一時頃鳴澤谷底ヨリ馬立場ニ通スル
午後五時田茂木野ニ歸リ村落露營ヲ朝シ壁日ノ準備ヲナシタリ
救援隊の編成:
| 役職 | 人員 |
|---|---|
| 隊長 | 少尉 |
| 軍医 | 一等軍医 村上定之助 |
| 下士卒 | 三名(看護手一名含む) |
救援隊は武器装具を携帯せず、防寒被服を纏い、精米五升・パン三個・懐炉一組を携帯した。
救援隊の行動:
1月26日 05:40救援隊は屯営を出発。幸畑において土民(地元住民)二十名を集めた。
救援隊は田茂木野に一泊し、翌朝五時に出発して無理にも田代に到達する計画であった。
三本木警察分署より返電があり、歩兵第三十一聯隊(弘前隊)に関する情報を得た。
1月27日 05:00救援隊は田茂木野を出発し、田代に向けて前進。先頭は土民隊二十七名、次いで小官以下の兵が続いた。
午前9時頃大橋中尉を発見。飢餓と凍傷で衰弱していた。
午前10時頃大橋中尉を救護し、軍医を求める声を聞いた。永井軍医を捜索。
午後1時頃鳴澤谷底より馬立場に通じる経路に達した。
午後5時田茂木野に帰還。村落で露営し、翌日の準備を行った。
第五章 捜索救護計畫並ニ實施
第五章 捜索救護計畫並ニ實施
第一、捜索救護ノ計畫
一月二十七日午後七時聯隊長ハ三神少尉ノ詳報ニ接シ事態ノ顛ルニ容ル
午後七時四十三分神成少尉聯隊行官郵ニ到着シ當時聯隊長ハ其行
此時正ニ救援隊ハ田茂木野ニ引上來リ到底底ニ達セシ第一ノ報告ハ增援隊ヲ編成シ
增援隊ノ大計畫ニ着手セリ聯隊長ハ直チニ百五十名午後三時屯營出發田茂木野ニ
達ス
此時正ニ救援隊鑑澤大尉以下百五十名午後三時
事ニ從事スル隊ヲ徹シテ救授ニ從事スルノ計畫ヲ採レリ
午後二時三十分第一ノ報告ハ增援隊長ハ直チニ搜索ヲ增援隊ヲ編成シラ
午後七時四十三分電營出發聯隊長ノ下ニ達シ屯營出發午後五時田茂木野ニ
撃シタル所後藤伍長口述ノ大意ト報告シ
救援隊長ハ今朝ノ出發ハ忽チ沸卿ノ混シ
第五章 捜索救護計画ならびに実施
第一 捜索救護の計画
1月27日 19:00聯隊長は三神少尉の詳報に接し、事態の深刻さを認識した。
19:43神成少尉(注:別の神成)が聯隊に到着し、現場の状況を報告した。
この時、救援隊は田茂木野に引き上げてきていた。聯隊長は直ちに増援隊(百五十名)を編成し、午後三時に屯営を出発させ、田茂木野に向かわせた。
鑑澤大尉以下百五十名が午後五時に田茂木野に到着。夜を徹して救援に従事する計画を採った。
19:43後藤伍長の口述による報告が聯隊長のもとに届いた。
然シ今日ノ難事須ラザル區域苦境ニ在ルニ一小部隊ノ能ク生死ノ間ニ停マルコトナク彷徨スルニ索ナク積雪壓沒シ吹雪思
救護スルニ事ハ須ラ區域全力ヲ擧ゲタ一小部隊ノ能クスル所ニアラス
索隊自ラ困厄設營給養ノ虞アル寒地ニ顧ヲ勝チ被ル人ノ膽勇ヲ搜索思
今日ト雖尼死ヲ前進ニ生死ノ間ニ途ナク停マルコトナク彷徨スルニ百人ノ戰友ヲ搜索
主力ヲ置キ雪路ノ踏開貨物尾ノ報告ノ
傳喝ヲ置キ雪路ヲ踏開シ田茂木野以南遭難地ニ至ル搜索隊ノ
給養衛生ノ任ニ當テ搜索隊ニ至ル間搜索救護ノ
合材料搜索救護ノ爲ノ開設ニ就キ第七以南ノ
給養衛生事ノ開設品物尾一貫速ノ
田茂木野以南遭難地ニ至ル搜索隊ノ
捜索の困難さに関する認識:
今日の困難な状況は、一小部隊の能力をはるかに超えるものであった。積雪に圧没し、吹雪に阻まれ、生死の境を彷徨する百名の戦友を捜索するためには、全力を挙げて取り組まなければならない。捜索隊自身もまた困厄に陥り、設営や給養すら危ぶまれる寒地において、人の胆勇を奮い起こして臨まなければならなかった。
捜索救護の組織:
主力を田茂木野以南の遭難地に投入し、雪路の踏み開き、物資輸送、通報連絡を体系的に行う計画が立てられた。給養・衛生の任務にあたる部隊を配置し、各哨所間の連絡を確保した。
主な配置:
| 区分 | 場所 | 任務 |
|---|---|---|
| 捜索隊本部 | 田茂木野 | 捜索の指揮・統制 |
| 各哨所 | 田茂木野〜遭難地間 | 連絡・物資中継 |
| 炊事場 | 田茂木野・幸畑 | 給養の供給 |
| 衛生部 | 田茂木野 | 負傷者の治療・搬送 |
| 支部 | 幸畑 | 後方支援 |
第二、捜索救護ノ實施 第一期
一月二十八日早暁ヨリ搜索救護ノ實施ニ就キ
二十八日將校等節自解散心百難ヲ排除シ翌鶴鳴報スルニ
シ面カモ擧座然其情況ヲ報告スル二十八日鶴鳴報ヨリ
此日屯營ヲ保持セル三本木警察分署ヨリ返電ヲ得タリ
出發鋪澤ニ於ケルフレト由
二十七日午前五時救援隊ハ田茂木野出發
田茂木野ヲ第十二乃至第八哨所ハ前進路ニ以テ踏開セシ
二十九日午前六時ヨリ歸還村落露營ヲ朝シ壁日ノ準備ヲナシタリ
木野ヲ又ハ第十二乃至第八哨所ハ幸畑ヲ能ハ止ム田茂木野前進路ヲ停止シ腰部以上積雪深サ六尺乃至八尺
面シテ先前進路ハ起ルヤ吹雪ノ爲歩行シ方向ヲ誤リ前進ニ積雪ヲ
至ラズ此ニ於テ搜索隊本部ハ人夫ヲ替シ一部ハ材料ノ敢集ニ
雪路ノ開設炊事ノ設備ニ就キ第七八哨所前進シタル二乃至第八
田茂木野ニ第一噺置キ搜索隊ノ集結所ヲ設
二十九日午前六時ヨリ搜索救護ノ歸還前進ヲ停止シ田茂木野ニ
木野ヲ出發セリ此等噺導ノ集合ニ時間ヲ
前十時過田茂木野出發前途ヲ全地ヲ徒費シ露營ヲ得ル
第二 捜索救護の実施(第一期)
1月28日早暁より捜索救護を開始。将校等はあらゆる困難を排除して前進した。
この日の捜索では、田茂木野を基点として各哨所を前進路上に設置した。積雪は腰部以上で、深さは六尺ないし八尺(約1.8m〜2.4m)に達した。
1月29日午前六時より捜索を再開。しかし吹雪のため歩行が困難となり、方向を誤る危険もあったため、前進を一時停止した。
捜索隊本部は人夫を交替させ、一部は材料の収集に、一部は雪路の開設と炊事場の設備に従事させた。第七・第八哨所まで前進し、田茂木野に捜索隊の集結所を設置した。
哨所の展開:
田茂木野から遭難地に向けて第一哨所から順次設置。各哨所間を連絡し、物資の中継と情報伝達を行った。積雪のため開設は困難を極め、一日に進める距離はわずかであった。