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時系列 地図 ファクトチェック 出典一覧

全事件 時系列表

1984年3月の江崎グリコ社長誘拐から2000年の全事件公訴時効成立まで。各項目に検証ステータスを付す。
■ 日付の基準について この事件の脅迫状・挑戦状は、資料によって「発送日」「到着日」「発見日」のどれで記録しているかが異なり、同じ文書が1〜3日ずれて書かれていることがある(例:グリコへの終戦宣言は6月25日に4紙宛へ発送 → 6月26日に到着。どちらの日付も誤りではない)。本サイトは原則「到着日」を基準に記述し、他資料と食い違う場合は各項目に併記する。
検証済独立2ソース以上で一致 要検証未照合/1ソースのみ 推定状況からの推測 異説資料間で食い違い(両論併記)
第一幕 江崎グリコ社長誘拐(1984年3月)
1984/03/1820:50頃検証済
兵庫県西宮市・江崎勝久邸
自宅に押し入った2人組が、入浴中の江崎勝久・グリコ社長を連れ去る(外に見張り役と逃走車の運転役がおり、実行犯はさらに複数)。夫人・長女を緊縛。
出典:Wikipedia/時事/NHK
1984/03/18検証済
大阪府茨木市・水防倉庫
社長を茨木市の水防倉庫2階に監禁。現金10億円+金塊100kgを要求。犯人名「かい人21面相」。
出典:Wikipedia/時事
1984/03/1904:55異説
報道協定をめぐる経緯
報道協定の要求と朝刊報道の前後関係について「申請遅れ」説と「無線傍受による先行報道」説があり資料が割れる。本編では両論併記予定。
出典:資料により差異(要精査)
1984/03/2114:30頃検証済
水防倉庫 → 大阪貨物ターミナル駅 → 保護
江崎社長が茨木市・安威川沿いの水防倉庫から自力脱出。川を渡って摂津市の大阪貨物ターミナル駅構内へ逃げ込み、居合わせた作業員に保護される。国鉄職員の通報で茨木署が保護(14時30分頃)。身代金は支払われず。
出典:Wikipedia文春オンライン(現場鑑識手記) ※保護時刻14:30頃は2026-07-05検証
取引の連続(1984年4〜6月/グリコ)
1984/04/02要検証
江崎社長宅へ速達の脅迫状(2回目の取引開始)
家族6人分・計6000万円の現金要求。塩酸入りの目薬瓶と、監禁中に録音した社長の声のテープを同封。以後5月17日までに計16通の脅迫状が届いたとされる。
出典:Drive脚本(独立ソースでの個別照合は継続中)
1984/04/08要検証
マスコミ各社へ最初の挑戦状
「けいさつの あほども え」で始まる挑戦状が毎日新聞・産経新聞大阪本社に届く。以後、脅迫状・挑戦状は最終的に総数144〜147通に達する(総数の2説は検証ノート参照)。
出典:Wikipedia/NHK(挑戦状総数は検証済)/Drive脚本
1984/04/2419:20〜23:00頃検証済
豊中「ダンヒル」→ 名神吹田SA → 国鉄高槻駅(3回目・不成立)
豊中市の喫茶店「ダンヒル」で待機するグリコの運転手に、録音テープの女声で「名神高速道路を85キロで走れ、吹田SAのタバコ自販機の上に手紙がある」と指示。吹田SAの指示書で高槻駅南口の電話ボックスへ誘導されるが、次の指示書は発見できず取引不成立。警察に通報していないかを試す犯人側のテストだった可能性が指摘される。テープの声は後の分析で中学生くらいの少女の声と判明。
出典:Wikipedia/Drive脚本 ※誘導ルートの大筋は2026-07-06検証
1984/05/09検証済容器の呼称は異説
江崎グリコの工場付近の路上
ガソリンを入れた容器3個が工場付近の路上に置かれているのが見つかる。文書による脅迫から、物理的な加害の予告へと段階が上がった局面。容器の呼称は資料により「ポリタンク」と「家庭用洗剤のプラスチック容器」に割れるため、本サイトでは中立に「容器」と表記する。置かれた時刻については確認が取れていない。
出典:Wikipedia系/制作用資料(個数「3個」と設置場所は複数記述で一致) ※2026-07-18検証・2026-07-19掲載
1984/05/10検証済
「グリコを たべて はか場え いこう」挑戦状 → 商品一斉撤去
朝日・読売・毎日・サンケイの4社に「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」とする挑戦状が届く。報道を受け、全国のスーパー等からグリコ商品が一斉撤去され、生産ラインは操業停止に追い込まれた。
出典:Wikipedia新潟日報(40年回顧) ※2026-07-06検証
1984/05/11〜異説
グリコ株が大幅下落
挑戦状報道を受けグリコ株に売りが殺到し大幅下落。下落幅は資料により食い違いがあり(「700円前後→480円前後」とする資料と「1月745円→5月17日598円」とする資料)、断定を避け両論併記とする。
出典:Drive脚本/Wikipedia系(数値が不一致のため要精査)
1984/05/17要検証
サンケイ新聞ほか報道各社
「ダイエーの社長え」と題した挑戦状が届き、新たな脅迫対象を示唆したとされる。4月8日に届いた最初の挑戦状にある「たべもんは ダイエーで こうた」(犯行に使った食料の購入先に言及した一節)とは別の文書であり、混同しないよう注意を要する。この5月の文書については独立ソースでの照合が済んでいない。
出典:Drive脚本(独立ソースでの照合は継続中) ※2026-07-19に4月の挑戦状との区別を明記
1984/05/20〜30要検証
取引先・長岡香料を経由した脅迫(4・5回目)
グリコの取引先である大阪・道修町の長岡香料に脅迫状が届き、計3億円を要求。応諾の合図として本社研究所のフェンス内に車を「赤・赤・赤・白・赤」の順に並べるよう指示するなど、社内情報に通じた手口が続く。5月30日の指示書で6月2日・摂津市の焼肉「大同門」が指定された。この間の取引は警察が関与しない「裏取引」だった可能性が指摘されている。
出典:Drive脚本(非公開資料が多い領域。独立ソースでの照合は継続中)
1984/06/0220:10〜22:10検証済
焼肉「大同門」摂津店 → 淀川堤防 → 京阪光善寺駅
大同門駐車場に現金3億円を積んだ白いカローラを用意。犯人グループは淀川堤防に駐車中の無関係なカップルの男性を襲い、「カローラを運転して来れば女性を返す」と第三者に現金を運ばせようとする異例の手口。女性は京阪光善寺駅で解放され、受け渡しは不成立。
出典:Wikipedia/Drive脚本 ※手口の大筋は2026-07-05検証
1984/06/26到着日検証済
報道各社へ ― グリコへの「終戦宣言」
「こども なかせたら わしらも こまる 江崎グリコ ゆるしたる」。グリコへの攻撃終了を宣言する文書が報道各社に届く。あわせて「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」と国外逃亡を示唆した(のちに別の挑戦状で断念を表明)。この文書は6月25日に朝日・毎日・読売・サンケイの4紙宛へ発送され、翌26日に到着しているため、資料によって「6/25」「6/26」の両方が使われるが、どちらも誤りではない。ただしこれはグリコ1社に対する終戦であり、事件の終わりではない(この直後、標的は丸大食品に移る)。
出典:朝日新聞出版note(6/25発送・4紙宛)Wikipedia・Weblio(6/26到着) ※発送/到着の両立構造として2026-07-13検証
第二幕 丸大食品恐喝 ― キツネ目の男(1984年6〜7月)
1984/06/2820:03〜検証済
高槻 → 国鉄京都線 → 京都駅
丸大取引で、捜査員を見張る「キツネ目の男」が国鉄京都線車内に登場。京都駅改札の雑踏で見失う。※あくまで目撃された不審人物であり犯人と断定されたわけではない。
出典:Wikipedia「キツネ目の男」/Drive脚本
1984/07/0620:07〜22:10要検証
2回目の丸大取引
大山崎・名神深草方面へ誘導するも受け渡し不成立。
出典:Drive脚本
1984/07/12・07/22要検証
食品メーカー・流通各社へ一斉に恐喝状 ― 標的は「数社」ではない
7月12日、寝屋川郵便局の消印で7社(伊藤ハム・日清製粉・日本ハム・山崎製パン・ハウス食品工業・雪印乳業・明治製菓)へ一斉に恐喝状が届く。さらに7月22日、京都中央郵便局の消印で4社(味の素・ジャスコ・ユニー・ニチイ)へ送達された。犯行の標的は中心的な数社にとどまらず、食品メーカーや流通業界へと広がっていた。※この時期は事件に便乗した模倣犯による企業恐喝も頻発した。
出典:制作用資料(脚本 V03)/各紙報道 ※社名・社数・消印は独立ソースでの一件ごとの照合を継続中=要検証
第三幕 森永製菓恐喝(1984年9月〜)
1984/09/1820:36〜21:39要検証
森永製菓大阪支社ほか
森永に対する受け渡し誘導。9月20日には毎日新聞がスクープ報道。
出典:Drive脚本(時刻・地点は照合中)
第四幕 青酸菓子ばらまき(1984年10月)
1984/10/07〜10/13検証済店舗個別は推定
大阪・兵庫・京都・愛知の複数店舗
「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」の紙を貼った青酸ソーダ入り森永製品を、約1週間にわたり複数店舗に相次いで陳列(単日イベントではない)。青酸ソーダ混入が確認された菓子は計13個。ファミリーマート甲子園口店の青酸入りドロップは個別に裏取り済み。各店の店名・所在地・設置日はDrive脚本の6店舗リストと突合中。
出典:Wikipedia/神戸新聞NEXT/Drive脚本 ※2026-07-01に「10/7単日」→「10/7〜13の連続」に訂正、2026-07-04に「13個」を追加検証
1984/10/15検証済
「ビデオの男」公開手配
青酸入りドロップが置かれた西宮市ファミリーマート甲子園口店の防犯カメラに映っていた不審人物「ビデオの男」を警察が公開。※目撃・録画された不審人物であり、犯人と断定されたわけではない。
出典:神戸新聞NEXT時事ドットコム ※2026-07-05検証
1984/10頃要検証
流通・食品 合計27社へ一斉脅迫
青酸菓子ばらまきと並行して、ジャスコ・ユニー・ニチイ・長崎屋・西友・イズミヤ・ダイエー・イトーヨーカ堂・忠実屋・平和堂・丸井・大丸・阪急・高島屋・三越などの百貨店・スーパーと、日本ハム・エスビー・ハウス食品・伊藤ハム・味の素・雪印乳業・明治乳業・明治製菓・山崎製パン・ネスレ日本・北日本食品・ヤクルトなどの食品各社合計27社に対して一斉に脅迫状が送られたとされる。対象は流通・食品業界の広範に及び、「脅迫された会社は数社」ではなかった。
出典:制作用資料(脚本 V03)/各紙報道 ※社名・社数・時期は独立ソースでの照合を継続中=要検証
第五幕 ハウス食品恐喝 ― 犯人に最も近づいた日(1984年11月)
1984/11/1418:10〜検証済
大阪 → 名神 → 大津SA → 草津
ハウス取引当日、名神・大津SAで「キツネ目の男」を複数回目撃するも、上層部判断で職務質問できず見失う。滋賀県内では白いライトバンに所轄外勤課員が職質を試みるが振り切られる。事件を通じ犯人に最も近づいた場面とされる。
出典:Wikipedia/京都新聞/Drive脚本
第六幕 最後の標的 ― 不二家・駿河屋(1984年12月〜1985年3月)
1984/12/07要検証
不二家 労務担当部長宅(神奈川県茅ヶ崎市)
脅迫状が届く。録音テープと青酸ソーダが同封されていた。標的が関西の食品メーカーから、首都圏に本社を置く不二家へと移る。
出典:Wikipedia系(1ソース。紙面での個別裏取りは継続中)
1984/12/23・1985/01/05要検証
不二家へ「デパート・ビルの屋上から現金をばらまけ」
不二家に対し「屋上から現金2000万円をばらまけ」という異例の要求が複数回出された。12月23日午後2時=大阪・梅田の阪神百貨店屋上、翌1985年1月5日=東京・池袋の高層ビル屋上(後者は12月28日、不二家取引先の忠実屋・高木社長宛に届いた脅迫状による指示)。不二家はいずれの要求にも従わず、以後、犯人からの連絡は途絶えた。
出典:制作用資料(脚本 V03)/各紙報道 ※個別の日付・場所は独立ソースでの照合を継続=要検証
1985/01/11要検証
不二家への脅迫が初めて報道される
不二家が「かい人21面相」に脅迫されていた事実が、この日はじめて公になった。約1か月間、脅迫は表に出ていなかったことになる。
出典:Wikipedia系(1ソース) ※2026-07-14に新規収集
1985/02/24到着日検証済
報道各社へ、森永への「休戦状」が届く
「わしら 人情に よわいんや」「森永 ゆるしたろ」。森永製菓への脅迫を終わらせる休戦状が報道各社に届く。3日後の2月27日19時30分頃には、茨木署下穂積派出所の入口ドア下でも同種の文書が発見されている。この2つは二者択一ではなく、別経路・別便でどちらも起きた事実である。これは森永1社に対する休戦であり、事件全体の終わりではない(この直後、3月に駿河屋が新たな標的になる)。
出典:Wikipedia/Weblio ※「マスコミ着」と「派出所発見」の両立構造として2026-07-13検証(G1)
1985/03/06要検証
駿河屋(和歌山の老舗和菓子会社)
5000万円を要求する脅迫状が届く。森永への休戦状からわずか10日後、犯人は新たな標的に手を伸ばした。
出典:Wikipedia系(1ソース。日付は制作用資料と1日差があり照合中)
1985/03/08要検証
駿河屋 ― 現金受け渡しの「延期通告」
犯人から受け渡しを延期するという通告が届く。そして、それきり駿河屋への連絡は途絶えた。この延期通告が、企業に宛てた最後の脅迫となる。以後、犯人が姿を見せることは二度となかった。
出典:Wikipedia系(1ソース。日付は制作用資料と1日差があり照合中)
第七幕 終結 ― 終息宣言と時効(1985年8月〜2000年)
1985/08/07検証済
滋賀県警・山本昌二本部長の死
辞任の挨拶を終えたその日、山本昌二・滋賀県警本部長が自宅で自ら命を絶った。巡査からの叩き上げで、ノンキャリアから本部長に上り詰めた人物。事件直後から「責任はすべて私にある」と公言し、2月に辞意を示していたが受理されていなかった。遺書3通は非公表のため、動機は断定できない(ハウス食品事件での取り逃がしを苦にしたものと一般に解釈されている)。「定年退職」ではなく辞任である。
出典:Wikipedia/京都新聞/INVISIBLE Dojo ※氏名=山本昌二・辞任は2026-07-01検証
1985/08/12到着日検証済
報道各社(朝日新聞ほか)へ ― 終息宣言
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」。事実上の終息宣言が報道各社に届き、以後、犯人からの接触は完全に途絶える。宛先は報道機関である(この文書を「派出所に投げ込まれた」とする記述があるが、それは前記2月27日の森永休戦状の発見状況との混同とみられる)。奇しくも日航ジャンボ機・御巣鷹墜落と同日だった。
出典:新潟日報(事件40年/最後の脅迫状は朝日新聞に送付)/Wikipedia ※宛先=報道機関は2026-07-14に独立2ソースで確定
1985/08/12検証済
ハウス食品工業社長・浦上郁夫氏の死去
同じ8月12日、ハウス食品工業社長・浦上郁夫氏(47)が日本航空123便に搭乗し、墜落事故で亡くなった。犯行終了宣言が出たことを大阪の父(先代社長)の墓前に報告するための搭乗だったとされる。※事実として記録するにとどめ、事件との因果関係は一切示唆しない。
出典:Wikipedia「浦上郁夫」 ※2026-07-13検証
1994検証済月日は要検証
江崎グリコ社長誘拐事件が公訴時効成立
誘拐事件の時効成立を機に捜査本部を大幅縮小。
出典:Wikipedia ※年は確定、正確な月日は未確定
2000/02/1300:00検証済
全事件 公訴時効成立
東京・愛知の青酸入り菓子ばらまき(殺人未遂2件)を含む計28件すべての公訴時効が成立。全事件が未解決のまま終了=完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件で初の未解決事件となった。
出典:Wikipedia/NHK